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2013.04.30 ライフストーリーセンター構築によるストーリーの社会学的研究
第5章 聞き取りをベースにしたストーリー――さまざまな人びとのライフストーリー研究を中心に
(川又 俊則)

はじめに

 本章は、JOHA第9回大会(2011年9月11日)で報告した「男性養護教諭へのインタビューとアーカイヴをめぐって」を、全面的に改稿したものである。
本科研で、「ライフストーリー文庫~きのうの私~」(https://blog.sugiyama-u.ac.jp/user/
mamoru/index.html)というウェブサイトの立ち上げは中心的な取り組みの一つであった(2011年3月~)。そのサイトの重要なコンテンツに、「自分史的エッセイ」と「語られたストーリー」がある。後者は、大学生たちの授業実践として行われたインタビュー(2章と6章で横家が考察)と、筆者ら研究者によるインタビューを編集した語り(本章の対象)が掲載されている。本章は、「語られたストーリー」に収録された「男性養護教諭のパイオニアとして生きる」(2011年2月18日掲載)を扱う。
 本章は、インタビュー(聞き取り)に関する近年の議論およびテキストの説明を整理し(1節・2節)、アーカイブ化されたライフストーリー・インタビュー例を確認し、「語られたストーリー」に関して若干説明する(3節)。そして、筆者の事例(ウェブサイトでの記述)と、それをもとにした考察を示す(4節)。
 本章で取り上げる対象者は、(元)男性養護教諭である。いわゆる小中高校等の保健室の先生は、全国で約4万人いるが、そのなかで男性はわずか50人しかいない。これまでこのテーマに関する調査研究は、養成校関係者(養護教育学等)らによる質問紙意識調査をもとになされ、複数配置での可能性や男性であることの長所短所等が議論されてきた。筆者は社会学の立場から、幾つかの論考を示している(川又・寺田 2008他)。本科研の調査として、元養護教諭や現職養護教諭・志望者たちへインタビューも実施した。それらの調査から見出された現代的課題を示しつつ、この語り手をウェブサイトに掲載した意義を振り返りたい。

1.ライフストーリー・インタビューに関する議論

 3章で「ライフストーリー」の方法論的議論を確認したが、本節では、インタビューに関連する議論として、(蘭 2009)によるライフストーリー論の的確なまとめを見ておきたい。
 蘭は、(桜井 2002)が提示した方法論を、自分なりに整理し、「語り手の語りを文書資料などで補強し、歴史などの外的基準に見合った唯一のライフヒストリーを再構成することをめざす実証主義的アプローチでもなく、あるいは、1人ひとりの語りを複数重ね合わせることで唯一のライフヒストリーに迫ろうとする解釈主義的アプローチでもなく、語り手と聞き手の相互行為を基盤としたライフストーリーの構成のあり方に焦点をあてて語りの分析や解釈をおこなおうとする第3のアプローチ」としての「対話的構築主義アプローチ」が登場したとことに賛同し、その方法論的展開に、自らも続いたと位置付けている(蘭 2009,p.38)。
 蘭は、このライフストーリーの調査手続きについて、「録音を前提としてインタビューをおこない、それをトランスクリプションすること、トランスクリプトの作成方法も、従来と大きく異なり、聞き手側の質問や語りも語り手の語りと同じように、省略されることなく書き起こすこと、また、インタビューの最初から最後まで、継起順序にしたがって書き起こすこと、そして、語り手にトランスクリプトを返してチェックをしてもらい、インタビュー・テクストを確定することなど」が広く共有されていることを指摘している(蘭 2009,pp.38-39)。
 しかし、蘭は方法論が確立したことに比して、ライフストーリー論文から語り手の「“声”や“リアリティ”がもうひとつ聞こえてこない、見えてこないように思えることもしばしば」だと述べ、その理由として、方法の標準化や方法論の内部の問題を論じた。そして、「アクティヴな聞き手としてインタビューの場に」臨むこと、具体的には「論文で聞かせるべき“声”を語り手の口から語ってもらうように」、聞き手は、「幅広い『背景知』をたくわえ、聞き取りのリソースを増やしておく必要が」あると主張した(蘭 2009,p.41)。もちろん、インタビューにおいて、聞き手側の基本的な態度というものはあるだろう ⑴。
 上記の議論からすれば、「ライフストーリー文庫~きのうの私~」に掲載されている「語られたストーリー」における筆者の試みは、「対話的構築主義アプローチ」ではない。インタビュー場面で得られた内容を、聞き手・語り手の確認のもと、相互修正によって構成しているが、最終的には、あくまでも語り手が独白している形で記述しており、「自分史的エッセイ」に近い。学生たちの作品は、会話形式で記述されているが、「読者」を想定した大きな編集も入っている(2章参照)。
 石川良子は、調査者の経験を記述することの意義として、調査協力者の経験のより深い理解を可能にする点、読者を加えた三者関係としてとらえる点を挙げている(石川 2012,p.41)。本科研での試みは、読者に重きを置いている部分で、石川の後者の指摘に関連するものもあるだろう。
 本科研のウェブサイト「ライフストーリー文庫~きのうの私~」は、同サイトに記述されているとおり、「自らのストーリーを語ることは、自分自身への贈り物であると同時に、他の人びとへの贈り物になる」という考えが基本にある。筆者は、自らがこれまで出会った多様な語り手の方々に了承を得て、その語りを広く公開したいと考えている ⑵。

2.インタビューからライフストーリーへ

 数多くのライフストーリー関連書が刊行されているが、テキストの中で、調査過程はどのように説明されているのかを、本節で確認しておこう。

(1)桜井厚の説明

 桜井は、小林多寿子との共編著で、ライフストーリー・インタビューの具体的な方法を解説している(桜井・小林 2005)。その第3章では、「ライフストーリーをもとに概念構成や理論構築へつながる道筋を検討」している(桜井・小林 2005,p.130)。
 まず、インタビューの語りの内容だけではなく、場の状況説明や、しぐさや表情、沈黙などを含めたトランスクリプトの記述の必要性が述べられる。また、解釈の軸として、「語られた〈物語世界〉のナラティヴの特質に照準するもの」と「インタビューの相互行為をふくむ社会的、制度的コンテクストに照準するもの」があるとされる(桜井・小林 2005,p.163)。そして、語りが、自らをコミュニティや全体社会と関連づけること、今まで語られなかったことが語られる可能性、調査者側で気をつけるべきことなどが丁寧な具体例とともに説明されている。

(2)大久保孝治の実践

 大学の社会学調査実習ゼミで調査を実施し、ライフストーリーの報告書を作成している大久保孝治は、ブックレットに「ライフストーリー・インタビュー」の流れを簡潔にまとめている(大久保 2009)。紙幅制限が厳しい(と推察する)なかで、的確に説明している。
 大学生たちの社会調査としての実践は、少なからぬ大学・短大等で実践されていると思われるが、テキスト化されたものは多くない ⑶。本項でこれを少々紹介する。
 大久保は「データの収集」「データの加工」「データの分析」という三段階で説明をしている。
 まずデータの収集は、準備と実践である。対象者選定、インタビューのアポイントメント、インタビューでの持参物、「現在の生活」から聞く聞き方、「これまでの人生」のアウトラインを聞くアプローチ(学校経歴、家族経歴)、人生年表(ライフコース整理表)によるまとめ方、「転機」へのアプローチ、「これからの人生」など、インタビュー場面での動きが説明されている。
 次に、データの加工は、ライフストーリーの編集と、その検討である。録音データの文章化(トランスクリプション)についてPCでの作業が説明されている。
 最後に、データの分析は、事例を基づいた説明がなされている。ライフストーリーを読んで分析テーマを見つける作業と、特定の分析テーマの視点からライフストーリーを読み返す作業を何度か繰り返し、テーマを見出す。大久保の学生は、テーマを自由に決める場合と設定されたテーマで分析する場合とがあり、それぞれ長所短所があると説明される。そして複数のケースを読むことで、「多数派の語り」(「支配的な語り」)と「少数派の語り」(「下位文化的な語り」「対抗文化的な語り」)、「オルタナティブな語り」を見出し、「個々人の『語り』の背後に存在する『語り』のパターンについて考察するとともに、なぜある対象者はある『語り』のパターンを採用し、別の対象者は別の『パターン』を採用するのかを各対象者の経歴や現在の状況を踏まえて考察する」のだと述べている(大久保 2009,p.46)。
 大久保は、「ライフストーリー分析」とは「人びとが『人生を生きる』仕方の分析であり、それを通して、人びとが置かれている社会的状況と、その社会的状況への人びとの適応について考察しようとするものである」と説明している(大久保 同上)。

(3)野入直美の実践

 3章でも言及した野入直美は、「共同研究として体験した在日朝鮮人のライフヒストリー調査と分析過程を振り返り、聞き取りから作品化にいたる過程」の実践を説明している(野入 2009,p.91)。
 谷の調査に同行した野入は、ある語り手の話に圧倒されつつ、「豊かな〈個〉のありように肉薄した、質的な深みのある調査は、結果として、〈構造〉の把握に向かう新たな仮説へ」導く可能性を感じた(野入 2009,p.92-93)。だが、「〈個〉のデータから〈構造〉を見出していく作業の困難さが、目の前に大きく立ちふさが」る(野入 2009,p.93)。その共同研究では、のべ20人ほどの研究者たちが、57人分のトランスクリプト(逐語録=インタビュー資料)と向き合い、4つの家族・親族集団に分け、年長者から若年者に通読し、「世代間の〈関連と比較〉」を行うことになった(野入 同上)。
 さらに、キリスト教信仰を継承してきたV家の分析を担当した野入は、通時的な理解を通じて、世代による隔たりを見出し、また、「戦前移動世代」と「戦後世代」の分類を通じて、社会変動と結びついた理解が進み、さらに、世代を超えた共通のパターンとして「家族の文化と個人の意味づけの相互作用、〈継承〉と〈獲得〉の関連が見えてきた」という(野入 2009,p.94-99)。

3. ライフストーリーのアーカイブ化

 ライフストーリーは報告書に記述されたり、論文化されたりするばかりはない。ウェブサイトに文字、録音、映像データが公開される例も近年見られるようになった。アーカイブ化に関しては、音声データばかりでなく、映像も視野に入れた議論、収集や管理に関する問題などすでに幅広い議論がある(安倍・加藤 2008他)。ライフストーリー(安倍らの用語では、オーラルヒストリー)のインタビューについて、本節ではその幾つかの事例を確認しておきたい。
(1)ウェブ上での実践例

 本科研を進めるために参照した幾つかのプロジェクトを確認しておこう。

① ロバート・アトキンソン「ライフストーリーセンター」
 塚田の紹介により、同サイト(http://usm.maine.edu/olli/national/lifestorycenter/)を確認した。そもそも、このサイトの日本語版を目指したのが本科研の計画の一つであった。
 塚田がアトキンソンの実践を学び、そのサイトの管理運営も参照しながら、本サイトのコンテンツ等を議論した(1章参照)。

② ディペックス・ジャパン「健康と病いの語り」
 乳ガン・前立腺ガン患者自身が語りを公開しているウェブサイト「NPO健康と病いの語り ディペックス・ジャパン」(http://www.dipex-j.org/)がある。体験者しか分からないことを語ることは、同病者にとって、大いに助けになるだろう。
 同サイトでは、データシェアリングも推進している。一つの病気について、12~15時間分がウェブサイト上で公開されているが、それは実際のインタビューの10~20%であるという。非公開分については、利用したい者がいれば、非営利目的で申請し、ディペックス・ジャパン倫理委員会が審査して許可された場合、有料でテキスト形式のデータが一定期間貸与されるとされている。

③ 桜井厚「ライフストーリー・アーカイブズ」
 本ウェブサイト作成時期(2011年秋)に、桜井厚によるウェブサイト(http://lifestory
interview.net/wordpress/)も確認した。「日本の経験を語る」と題されたこのサイトでは、「戦争体験」「境界文化」「問題経験の現代史」「オーラル資料」などのカテゴリーが設定されている。
 制作中らしき様子だが、2013年2月に確認したところ、「戦争体験」のアーカイブとして、5人のインタビューの一部がテキストデータと音声データが掲載されている。桜井の応答も含まれて、インタビューの様子が数分ずつ確認できる。「映像データ」の項目も設定され(リンクはされていないので制作途中と思われる)ており、「アーカイブ化」の検討と実践がなされるのだろうと推測される。

④ 全米日系人博物館
 3章と本章で紹介したテキストにおいて野入は、「ライフヒストリーの共有に向けて」という節を設け、全米日経博物館の「ディスカバー・ニッケイ」(http://www.discovernikkei.org/ja/
interviews/)のことを記述している(野入 2009,pp.104-105)。同サイトでは、日系人のインタビューが、映像とテキストデータで紹介されているが、2013年2月に確認したところ、140人以上のインタビューが収録されていた。

(2)本科研のもう一つの目標

 本科研の目的の一つは、これまで紙媒体で公表してきた作品を、デジタル化し、ウェブ上公開することで、より多くの読者へ提供することにあった。先述の通り、独自のウェブサイトを立ち上げた。そこに含まるもの(現状のサイトでは「研究論文」というコンテンツを準備していた)として、これまで各人が収集したライフストーリー(研究論文等)を、広く一般向けの「読み物」として提示することが議論された。だが、この3年間は「自分史的エッセイ」と「語られたストーリー」を中心に進めてきたこともあり、現時点でこのコンテンツは完成していない。

① 方針

 語りは数時間から十数時間に及ぶものもある。研究ということであれば、その長さ自体に意味が付与され、内容整理もその観点からの切り口があるだろう。だが、一般向けということであれば、ある程度の縮減が必要であるという認識は、本科研メンバー3名のなかで共有された。

② 注意点
 ウェブ上で公開の問題点として、プライバシー保護が議論された。「個人が特定される情報は掲載しない」という基本原則が決まった。また、ウェブサイトの維持期間もとりあえず「3年」という限定をかけた。また、改めて、同意書等の共通フォームを定め、共有化した。各事例において、語り手たちに再度内容を確認してもらい、同意書を得たもののみウェブ上に公開することとなった。

(3)「語られたストーリー」とA氏の事例

 本科研において筆者は、「語られたストーリー」に、過去の調査とこの3年間の調査で得られたなかから選択するつもりでいた。なかでも、近年インタビューをしている「男性養護教諭」と「元牧師」は、筆者自身の興味関心とは別に、その個人の語り自体に、読者側から興味をもたれるのではないかと考えていた。
 筆者は、近年、「老年期の宗教指導者」(仏教、神道、キリスト教、新宗教他)、「過疎地域の人びと」、「放課後児童クラブ指導員」、「海女」などに関する調査をしている。これらを広く括る語彙に「マイノリティ」が挙げられよう。かねてから述べられてきたように、統計的分析が困難なマイノリティの研究において、個人の生活史を聞き取るインタビューは有効であろう。
次節では、「語られたストーリー」としてA氏を紹介する。A氏へのインタビューは、2009年、2010年に行い、それぞれトランスクリプト(逐語録)を作成し、確認していただいた。また、紀要論文作成のご許可をいただいた(川又 2011)。
 本科研のウェブ公開に関して、筆者自身の調査を振り返り、どのような語り手がいいかを検討し、まず、A氏をと考えた。氏には、掲載内容を再度確認していただき、加筆修正を行い、掲載した。まあ、編集において、ウェブ一般公開を考え、読みやすさという視点での修正も行った。ただしこれは、自らでは完了せず、編集者に依頼し、その赤入れでの確認作業も行った(2章参照)。

4.事例

(1)A氏のライフストーリーの概要

 看護師として精神科で働いた語り手A氏は、大学特別別科で養護教諭免許状を取得する。ある県の小学校で1年間勤務し、学校現場で健康を守る養護教諭の重要性を認識。その後、看護系高校で看護教員として10数年の勤務を経て、定時制高校の養護教諭として復帰した。とくに男子生徒から歓迎され、女子生徒へも手洗い触診や多様な健康相談で対応した。その高校では、不登校気味の生徒を100%卒業へ導いた。
 その一方で、男性養護教諭の認知度を向上させるため、彼は講演活動も行っていた。男性を強調するのではなく、養護教諭の能力があれば性別は変わらないことを主張した。その後、山村留学の小中学校で勤務し、現在では退職して、後輩たちにエールを送る立場になり、「男性養護教諭友の会」の基礎作りを行った。

(2)語り手について

 A氏は退職した元養護教諭である。筆者が初めて出会ったときは、すでに退職されていた。彼の特徴は、看護師免許を保持していることである。養護教諭は養護教諭免許状(専修、1種、2種)を取得し、教員採用試験に合格してなる職種である。免許状は大学・短大の養成校卒業によって与えられるが、看護師免許保持者は、大学特別別科1年の学びで免許状が取得可能である。
 彼の養護教諭としての現場経験は10年に満たないが、その背景には、病院での看護師経験と、看護教員としての10数年の勤務がある(クラス担任経験)。これらの経験は、彼がその後の高校や小中学校での養護教諭経験に役立った。
 養護教諭の資質能力形成過程の研究からは、性格的資質(前向き、素直、謙虚、慎重、強い意志)、学習資質(努力、向上心、自己成長)、専門能力(連携能力、対応力、情報管理能力、観察力、判断力、行動力)等が見出されている。A氏には、上記の能力が含まれていることが語りのなかから理解されよう。とくに、前向きなところや、連携能力、行動力面で彼は卓越している。さらに情報発信能力にも優れており、講演活動のみならず、高校勤務時代以降、彼の存在は、後に続く男性養護教諭志望者にとって、理想的な存在となっていた。
 彼の保健室経営の方法は、決して男性養護教諭特有だということではない。彼は現役時代、研修会等で保健室経営に関する講演を何度も行っている。だが、女子児童生徒に対してできる限りの配慮を心がけた対応の例は、他の男性養護教諭の参考になっている。
 彼は既婚者でもあり、高校勤務時代の彼の年齢は、生徒たちにとって保護者世代に相当する。教員は年齢性別等で、児童生徒からの対応も異なる。男性養護教諭も既婚未婚、年齢等は、彼らの養護教諭としての資質以外の要素として、今後考慮する必要があることに、筆者は、彼の語りを聞きながら気づかされた。

(3)A氏の語りと男性養護教諭のキャリアパターン

① 採用試験合格まで

    A氏:入学後、私と指導教官と二人で教育委員会に行って、男性の養護教諭についての話をしました。
   でも、理解してもらえない訳ですね、男性養護教諭のことを。そして、希望を与えてくれないような
   お話をされました。大きくは三つ。一つは、「PTAが許してくれないだろう」。それから、「男性は
   初潮教育できるんですか」。そして三つ目。「女子児童にも触れることあるでしょう。
   あなたは、触れますか」。そんなの常識で考えたら分かりますよね。
 
A氏は、大学の特別別科在学中、上記のような対応を受け、同県での男子採用がないと言われる。結果、男性養護教諭の採用実績のある県を受験して合格した。

 教員採用試験を目指す受験生は、自分なりの理想と厳しい現実のギャップに悩む。現役合格者はわずかであり、多くは何度も採用試験を受け続けている(5年以上の浪人経験もいる)。「もしかしたら、自分は男性だから(養護教諭として)採用されないのではないか」との考えが頭をよぎる者もいる。彼らは、合格するまで落ち着かない不安な日々を過ごす。他の道へ転ずる人もいる。
 大学(短大・大学院)を卒業した彼らは、非正規教員(有期常勤や非常勤という雇用形態)で学校現場に立てる者もいれば、受験勉強に専念する者もいる。希望しても臨採(臨時採用による養護助教諭勤務)の声がかからない場合、アルバイトで食いつないで受験勉強を続ける。採用までその生活が続く。養護教諭の倍率は他の科目同様、ほぼ10数倍である(もちろん女性の志望者も、同様の経路を辿る)。
 養護教諭以外の教員免許状、たとえば小学校教諭等の免許を取得している場合、転ずることも考えるという。教員採用試験こそが当事者の最大関心事である。自らが不合格で知人・友人の女性だけが合格だった場合、それは「性差」が理由ではないかとの疑念も起きる。採用試験の点数等の情報が開示されるようになってきたため、結果を確認できる近年では、それらの疑念も払拭されているだろうが、採用試験を突破できないなかで、彼らが疑心暗鬼に駆られるのもやむを得ないかもしれない。

② 若手教員

    A氏:保健室には、意外と心配なく、小学校6年の女の子も来てくれました。でもそれは、5年生の
   担任の女性の先生でW先生が、性教育の時間に私を教室に入れてくれて、女子に対する性教育を
   見学させてくれたんです。それがよかったかなと思います。当時は、男・女を分けて(性教育を)行って
   いて、それを私に見学させてくれた。そういうことが、後で、ああこういう話なんだな、こうすれば
   いいんだなと役に立ちました。W先生は、とても熱心ですごく理解がありました。
   それで、授業(で教室)に入っていたこともあって、女の子たちも(私に対して)安心してくれて、
   保健室の利用率は、前年度の先生より高くなったんです。

同僚たちの協力もあり、このように1年目を順調に過ごしたA氏だが、故郷の県から声が掛かり、結局、そちらの看護教員として転勤した。

 「実際の活動のなかで男性だからという理由で不都合に感じたことは現時点ではありません」と述べる現職者もいるが、実際に職場に就いてみると、想像以上に「男性」「女性」の差はなかったというのが彼らの実感である。
 もちろん、勤務当初、同僚教職員・管理職・保護者たちが「男性養護教諭」に慣れていない場合、彼ら自身が周囲の人びとへ自らのことを詳しく説明する必要も出てくる。女性教員との連携が必要な場面もあり、周囲との信頼関係が構築されるまでは、気をつけなければいけないことも多い。だが、どちらかというと、「男性」としてというよりは、むしろ、一人の教員として信頼してもらえるように、日々誠実に仕事をこなしていくことが重要だと彼らは感じている。教員としての経験値が低い彼らは、一般の教職員を含め、周囲から多くを学ぶ。
 養護教諭において、単数配置(保健室に養護教諭が一人配置される)と複数配置(二人以上の養護教諭が配置される。大規模校など)とでは大きく違う。後者の場合、一緒に仕事をする相手から多くを学べる可能性もある。「『男性なので、どこまでできるかな』って思っていたと言われたことがあります」と語る彼は、結果的に、ペアを組む年配の女性養護教諭から多くの経験を学んでいった。逆に、相手とうまくいかない場合、困難を抱え込むこともある。建前として、職務である以上個人的感情は関係ないと言えようが、どの職場でも、人間関係の問題は多かれ少なかれ存在する。
 勤務校の管理職や一般教職員の理解度も、彼らの勤務に影響を与える。一般的に、若手教員はそもそも年齢が若い。ある20歳代の教員は、養護教諭一年目を歩むなかで「『男性』というよりも『若さ』により、親しみやすさなどのメリットを多々感じます」と、若さという利点を自覚する。「さまざまな経験を通して生徒と寄り添い、学び、自分の武器を見つけたいと思います」と言う。たしかに若いということは大きな利点である。児童生徒のなかに飛び込んでいくことができる。そして、彼女ら彼らと積極的に交流し、児童生徒への理解が深まり、養護教諭として実践に役立つ。そういう利点がある間に、他の自分らしさ(利点)をもてるよう努力しようと考える。若いが故に、児童生徒側が、男性性を強く受け取る場面もなくはない。多くの経験を積み重ねながら、彼らは成長を続ける。

③ 中堅教員

    A氏:(高校赴任後)保健室に興味関心を引き入れる作戦をするわけです。結果的には、全部成功
   しましたね。一つ目は、廊下で会う度に、「こんにちは。今度、二人で保健室に遊びに来てください」と
   (生徒たちに)声をかけまくりました。向こうは何だろうと思ったと思います。でも、男性養護教諭という
   興味もあったと思いますが、休み時間に来てくれました。(‥略‥)二つ目は、女子に対する処置や
   触診です。捻挫や打撲、皮膚疾患などで触れることが必要なときは、手を石鹸で必要以上に洗って、
   声をかけて見せました。胸やお腹の触診が必要なときは、もう一人来ているので、その子に指示を
   出して触ってもらっていました。保健室から出している「保健便り」も、A4サイズで文章を短く、電車の
   中吊り方式で、見出しで勝負しようとして、とにかく見てもらおうとしました。

看護教員を10数年経験した後、ある定時制高校で、養護教諭として赴任した。

 10年前後の経験を積み、中堅的立場になる頃には、多くの問題に対処できるようになる。自らの個性を生かした教育活動を進めたいという意欲から、年度ごとに様々な健康相談活動のテーマを定め、工夫した内容を考え実践したり、自ら研究調査を行ったりする者も多い。
 男子生徒は男性養護教諭を、女子生徒は女性養護教諭を求めるのではないかという短絡的理解に対し、逆に「男子生徒の場合、(養護教諭に)母性を強く求める部分もある」ことも実感する。児童生徒たちには、養護教諭の性別は絶対的なものではなく、必要とされる内容も多様だと分かり、それに(教育的指導も含めて)臨機応変に応じられるようになっていく。
 「(女子生徒に対して)ここからは踏み込めない、ここまで踏み込めるというラインがある(=見えてくる)ので、それをうまく使いながらやっていけばいい」という考えもある。その場合、ペアの女性養護教諭との連携が重要であるが、意思疎通ができていれば問題ない。また、「(ペアの女性養護教諭が)すごく優しすぎるというか、甘やかしすぎと感じることもある」との感想をもつ場合もある。しかし、ペアとして必要な対応をとり、お互いの対応を理解し合うことで、保健室を有機的に機能させればいいと考えられている。
 部活動等の顧問をしている者もいれば、校務分掌を複数受けもつ者もいる。彼らは「保健室」ばかりではなく、学校内外へ教育活動の範囲を広げていく。「部活動の顧問をしているっていうのは、こどもたちの健康なときの姿を見ておけば、相談に来たときの悩みを違う意味で解決してやれると思っているからです」という彼は、部活動顧問と「保健室の先生」という二つの顔をうまく使い分けている。養護教諭の研修会や他の勉強会・研究会などに積極的に参加する者も多い。そして、多様な事例検討会の学びを通じて、自らが学内で抱えている諸問題を解決する方策を身につけていく。

④ ベテラン教員

    A氏:(地元紙にA氏の紹介記事が掲載され)年間30回位の講演依頼がありました。
   (高校は)定時制で出勤は午後2時半でよかったので、午前中の講演はできるかぎり受けるようにして、
   時間の調整をしました。自分のやっていることを、講演の機会があったらどんどん言って。
   男がいいとかは一切言わずに、「こうしてやっていました」と。講演活動して、「男もこうしてやっています」
   と伝える。

 A氏は、高校と小中学校で養護教諭勤務をし、その間、講演活動や男子学生実習の受け入れなどもしていた。そして、定年を迎え、退職した。
 筆者は彼以外に、特別支援学校(赴任時は養護学校)で30年近く勤務されたベテラン教諭からも話をうかがった。単数配置も複数配置も転勤も多く経験している方からの語りからも、キャリアパターンの変遷のなかで、困難を乗り越え、ベテランの域に達した様子がうかがえた。

(4)小括

 前項で、キャリアパターンで4区分し、他のインタビュー調査を通じての考察を記述した。同時に、ウェブ上で紹介したA氏の同時期の様子の語りを示した。教員としての成長、前段階での問題が次の段階で解決している様子などが示された。
 若い(新卒)養護教諭の働きかけは、一方向的・画一的なものに陥りやすいが、経験を重ねることで、担任教師・管理職・保護・専門機関等、連携相手が増えると同時に、周囲からの信頼を得、連携が相互的に働くことという研究報告もある。ごく当たり前の結論だが、同様の流れを確認できた。
 教員志望段階では、大学時代の環境や教員採用試験の困難状況等から、「男女の差」(の有無)を強く意識するが、若手教員として勤務すると、赴任当初以外は「男女の差」よりむしろ「養護教諭」としての自らの力量不足を実感する。周囲の教職員・保護者(の理解度)等の環境面の違いもあるが、資質向上こそが重要だと認識して努力を続けた中堅教員になると、ある程度の自負も出てきて「男女の差」(男性であることのマイナス)はないとの見解をもつようになる。
 圧倒的マイノリティたる男性志望者は、各都道府県での採用実績が乏しい状況で、横のつながりがほとんどなく、孤独に努力してきた。何名もが突破したが、今後は、2010年8月に結成された「男性養護教諭友の会」(2012年に第3回の研究会実施、会報創刊)の存在は、同様の目標をもつ志望者(学生・非常勤講師)たちにとって、大きな意義をもつだろう。A氏など退職されたパイオニアたる先輩や現役活躍中の中堅教員の存在も、彼らには心強いに違いない。

むすびにかえて――出会いと思いと

 本科研代表の塚田守は、「ライフストーリー研究の醍醐味」として、中野卓や蘭信三の例を挙げつつ、「人との出会いから始まる」ことの重要性と、にもかかわらず、論文等では捨象されがちなポイントであることを指摘している(塚田 2011,p.205)。これを受ける形で、筆者が現時点まで「語られたストーリー」で掲載している語り手たち出会いを記し、本章を閉じることにする。
 本章で事例に取り上げた「男性養護教諭のパイオニア」との出会いは、新聞記事紹介にある。筆者は勤務校で養護教諭養成(に関する授業担当およびゼミ担当)に携わる者として、共学化して男性の免許保持者が出ても、正規採用がなかなか出ない現況から、この記事を見たとき、ぜひ一度お話をうかがいと思っていた。そして、勤務校へ手紙を送ったところ、逆に、当方に関心をもっていただき、数回のやり取りの後、お目にかかることになったのである。以後は先述の通りである。
 「老年期の過ごし方を考え続ける元牧師」(2012年2月29日掲載)での語り手ある元牧師との出会いは、筆者が1990年代に実施したキリスト教会の死者儀礼調査であった。その時現役牧師だった彼は、地方の教会で熱心に死者儀礼へ関与して多くの信者を集めた方だった。その後引退し、数年ケアハウスに居たことを、その後の年賀状のみのやり取りで知っていたが、筆者の短大勤務に伴い、実に10数年ぶりに再会した。そして、老年期の宗教指導者という大きなテーマを発見した。奥様(牧師夫人)からもお話をうかがうことができ、研究調査を通じた関係であっても、それぞれのライフコース上の様々な変化を考える機会を与えていただいたと思っている。
 「寝屋子と寝屋親を体験した漁師のはなし」(2012年2月29日掲載)での語り手の漁師との出会いは、地元関係者の紹介による。鳥羽市答志島の寝屋制度は、民俗学的に注目され、これまで数多くの調査がなされている。マスメディアにもしばしば取り上げられている。筆者は泉正幸氏とともに共同調査を3年以上続けている(泉 2011)(川又 2012)。この方は、とくに詳しく寝屋の過去と現在および自らの体験を詳しく教えていただいた方であった。その後も、現地を訪れるたびに、挨拶を交わし、近況報告等をさせていただいている。
 筆者は、20年ほど前から、自らの興味関心により、全国各地の様々な年代の人びとから、それぞれの生活史を聞き取るインタビュー調査を続けている。これまで、実に多くの方々から多くの学びを得た。これまでそのごく一部しかアウトプットできていないし、今後も、数多くを出すことはできないだろう。だが、アウトプットできてない「出会い」からも、多くの知見を得、そこからさまざまなアイディアが浮上したり、ヒントを得たりしている。言うまでもないことだが、それらすべてが、現在進行形の研究者・生活者たる筆者を作っているのだとも言えよう。
 語り手の方々とは、ある時期に頻繁に会っていても、やがて、ある程度調査研究が落ち着くと、しばらく会わない時期が生ずる。それは、同級生や他の知り合いとも同様かもしれない。研究者の都合で語り手の方々との交流が粗密になるというのは、ずいぶん身勝手だとも言えよう。だが、研究者としての歩みを進める中で、先の元牧師との再会のようなことは、今後もあるかもしれない。そして、そのこと自体、インタビューを中心にした調査の研究テーマの一つになるかもしれない。筆者たちは、語り手の方々の人生の一部を共有しつつ(逆に、筆者の人生において、語り手の方々は確実にその一部を占めている)、今後も、多くの聞き取りを続け、それぞれのテーマを共に考えていきたい。



(1)塚田守は、ライフストーリー・インタビューの基本的態度として「無知の態度」「共感的理
 解」「人としての興味関心を示す態度」を挙げている(塚田 2005)。筆者自身もそのように思
 っている。
(2)当然と言えば当然だが、語り手が皆、ウェブ上の掲載を許可するわけではない。いったん
 掲載を許可した後、内容を自ら大幅修正し、さらに、読者に誤解を招くかもしれないと、最終
 的に掲載否という例もあった。
(3)その数少ない実践例が、横家純一の実践である(横家 2001他)。本報告書でもその実
 践が報告されている。生活史研究会では、第79回例会(2001年10月14日)で、その横家
 と村田貞雄が報告者となった「社会学教育における生活史調査」というシンポジウムを行った
 (コーディネーターは筆者)。塚田守は学生の卒業論文を材料に「病いの体験」の再解釈を
 論じている(塚田 2012)。卒業研究等でライフストーリー・インタビューを行う例は、本科研メ
 ンバーだけではなく、広く教育実践されていると思われる。

文献

安倍尚紀・加藤直子,2008,「組織的に体系化されたオーラルヒストリー――研究機関に基盤
 を置き、組織的な研究方法を用いるオーラルヒストリーの可能性」『日本オーラル・ヒストリー
 研究』,4号,pp.65-84.
蘭由岐子,2009,「いま、あらためて“声”と向きあう」『社会と調査』,3号,pp.38-44.
石川良子,2012,「ライフストーリー研究における調査者の経験の自己言及的記述の意義―
 ―インタビューの対話性に着目して」『年報社会学論集』,25,pp.1-12.
泉正幸,2011,「答志における寝屋子研究」『鈴鹿短期大学紀要』,35号,pp.35-40.
川又俊則・寺田圭吾,2008,「養護教諭とジェンダー(1)――保健管理センター助手の事例よ
 り」『鈴鹿短期大学紀要』,28号,pp.123-147.
川又俊則,2011,「養護教諭とジェンダー(2)――あるベテラン男性養護教諭のライフヒストリー
 を中心に」『鈴鹿短期大学紀要』,31号,pp.12-17.
川又俊則,2012a,「養護教諭とジェンダー(3)――看護師・保育士との比較」,川又俊則他編
 『養護教諭の複数配置に関する社会学的研究』,川又研究室,pp.12-17.
川又俊則,2012b,「『男の』と問うのは誰か」『中学保健ニュース』1530号付録,pp.4-5.
川又俊則,2012c,「答志の寝屋制度と『放課後』」『生活コミュニケーション学年報』3号,
 pp.35-42.
大久保孝治,2009,『ライフストーリー分析――質的調査入門』,学文社。
野入直美,2009,「ライフヒストリー分析」谷富夫他編『よくわかる質的社会調査技法編』,ミネ
 ルヴァ書房,pp.90-105.
桜井厚,2002,『インタビューの社会学――ライフストーリーの聞き方』,せりか書房。
桜井厚・小林多寿子,2005,『ライフストーリー・イタビュー――質的研究入門』,せりか書房。
田口純一編,1994,『こころの運動会――女子大生たちのライフ・ヒストリー研究』,北樹出版。
田口純一編,1995,『いのちの舞い――ウィットネスたちがみた人生ドラマ』,六法出版社。
塚田守,2005,「インタビュー調査の反省的検討理論枠組みと方法論をめぐって」『椙山女学
 園大学研究論集』,36号(社会科学篇),pp.25-34.
塚田守,2011,「書評 小林多寿子編著『ライフストーリー・ガイドブック――ひとがひとに会う
 ために』嵯峨野書院」『日本オーラル・ヒストリー研究』,7号,pp.203-206.
塚田守,2012,「語りによる「意味ある体験」の再解釈の可能性」』日本慢性看護学会誌』,6(1)
 号, pp.2-8.
横家純一編,2001,『ショータイム――女たちのライフ・ヒストリー』,あるむ。
横家純一編,2002,『ミラクル・ハンター――椙大生活史研究第1号』,椙山女学園大学横家研究室。
横家純一編,2007,『至福のとき――椙大生活史研究第2号』,椙山女学園大学横家研究室。
横家純一編,2008,『バナナパフェ――椙大生活史研究第3号』,椙山女学園大学横家研究室。
 

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