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2013.04.30 ライフストーリーセンター構築によるストーリーの社会学的研究
第4章 ライフストーリー研究の概観:自分史作品を中心に
(塚田 守)

はじめに

 第3章で包括的に川又によってレビューされたように、インタビュー調査に基づいた「ライフストーリー研究」は、研究として確立されているが、自分史を研究するということが、「ライフストーリー研究」として位置付けられることはほとんどない。「自分史学会」という名の学会はあり、自分史を研究することを目的としているが、実際に自分史を研究するというよりは、自分史作品を書くことを奨励し、自分史作品を募り、その中の優秀な作品に『私の物語・日本自分史大賞』を授与し、表彰するのが主な活動で、研究活動をしている学会とは言えないであろう。
 よって、この章では、数少ない自分史研究とみなされる研究をレビューすると同時に、どのような自分史作品が書かれてきたかを概観し、自分史的作品を書くことの評価がどのようになされているかについてまとめる。

1.自分史を書く目的

 1980年代から社会現象となっている自分史ブーム、つまり自分史がどのように生まれ、どのように展開されたかについては、すでにさまざまな形で議論されている(浅野2002年、色川 2000年、小林 1997年、吉澤 1995年)。本章では、自分史を書く動機に言及しながら、自分史を書くことがどのような機能をもつかについて論じていく。さまざまな自分史研究の中でも、小林が書いた『物語られる「人生」-自分史を書くということ』(1997年)は、自分史を書く動機をもっとも簡潔に書いているので、この研究に言及したい。小林は、自分史を書いた人びとのインタビューを行って、その書いた動機について研究を行っている。
一つは、自分が経験したことを「記録として後世に残したい」と思って書く、「歴史の記録」を主たる目的とする。このような目的で書く人びとは、比較的年配で、仕事を退職し現役から退いてから、人生をふり返って書く場合が多い。日本史全体にかかわるのではなく、自分の生きた証しを、子供や孫の世代に伝えたいと思って書き残すものである。具体的には、戦争体験、苦労体験、社会的成功体験など、歴史との関わりで、どうしても残しておきたいと思うことを中心に書いている自分史である。あるいは、家族の歴史、郷土の歴史と関連することを記述しながら、「記録に残す」ことを目的としている。
二つ目は、若者層に多いもので、「自分が何者であるか」を問いながら、自分のアイデンティティを確立するために、生きてきた経験をふり返り、「自分探し」あるいは、「自己理解」を目的とするものである。その記述の中には、それぞれが生きた社会や歴史との関連が書かれることはあまりない。むしろ、比較的短い人生体験の中で、自分にとって「意味ある経験」について書き、「整理」し、今の自分がどのように形成されてきたかについて綴っているものである。
以上の2つの異なった自分史作品で、小林が言っている「歴史の記録」としてもっとも有名なものが、色川大吉の『ある昭和史―自分史の試み』で、太平洋戦争がどのように起こったかを、その時代に生きた自分史を書くことによって、正統な歴史解釈に対して一つの批判を示したものである。また、同じ著者による最近出版された昭和自分史を綴った『廃墟に立つ』『カチューシャの青春』などもまた、歴史学者が、自分史をとして、一般的な歴史的解釈とは異なる「歴史の記録」を書き残したものである。また、社会学者中野卓の『「学徒出陣」前後―ある従軍学生のみた戦争』も、10歳代の著者が見た戦争体験として、従軍慰安婦、国共内戦に乗じた武装残留の陰謀等について書いたものであり、「歴史の記録」を書き残したものである。
研究者でない人たちが書いた「歴史の記録」を残す試みとしては、戦争体験などを綴った早乙女勝元『下町の故郷』や高木敏子『ガラスのうさぎ』なども自分史作品として知られている。特に、戦争体験という歴史的体験の語り継ぎは、自分史作品にはよくみられる。筆者は、「『戦争体験』の語り継ぎ―自分史作品の分析から」(2009年)に、戦争体験を語り継ぐという作品が自分史として書かれることが多いことに注目し、それぞれの著者が、なぜ、そのような自分史作品を書くようになったのかを分析した。ごく最近まで、少なくとも公的な場所であまり話題にされなかった「東京大空襲」を経験した早乙女勝元は、自らが経験した空襲体験を語り引き継ぐことが、戦争の犠牲者たちへの追悼になると思い、最初の自分史作品『下町の故郷』を書き、その後は、この体験を風化させないために、空襲の体験者からの聞き取りに基づいたドキュメンタリー作品『東京大空襲』を書き、「東京大空襲」を語り継ぐ運動を展開し、最終的には、「東京大空襲・戦災資料センター」を2007年に設立し、センター長になり、その記録を残すことを自分のライフワークにしていった。
さらに、戦争体験を庶民の視点から書き、それを一般の人びとに伝えることを目的として、自分史作品を書き、その作品を書いたことで戦争体験を語り、書くことで、記録に残した人たちがいる。その中で特に、有名になった作品には、鈴木政子『あの日夕焼け 母さんたちの太平洋戦争』や高木敏子『ガラスのうさぎ』がある。この二人は、ベストセラー自分史作品を書いたことで、その後も、戦争体験を語り継ぐことをライフワークとしているようである。
次に、若者の自分史作品として、「意味ある経験」について書き、「整理」するものとしては、第4回北九州市自分史文学賞作品『おーい! 新米ママポリス奮戦記』がある。島崎のこの作品は、29年間の人生全体ではなく、卒業後の1年のことが書かれているだけである。地方の県警に婦人少年補導員(ママポリス)として、2年間勤務した、そのはじめの1年だけに焦点を当て書かれたものである。島崎の書いた動機は、「整理する」だけではなく、文学賞に応募して「チャレンジしたかった」からである。文学賞に応募することで、他者の視点をとりこんで書いたものだと言える。この作品の特徴は、「出来事を自分の気持ちや解釈で説明している」点である。それは、現在の自己からみた過去の自己へのまなざしを書いたものである。若い人たちも激動の青年期を生きた自分を整理したい、残しておきたいという気持ちで自己の過去を書き綴っている。その意味では、ベストセラーになった大平光代『だから、あなたも生きぬいて』も自分史だと考えられる。

2.自分史作品の書かれ方

 歴史的に見ていくと、自分史は、橋本義夫の「ふだん記」運動から生まれたと言われている。自分の日常的なできごとを書くことによって、生活を豊かにするということが目的で、あまり、文字と接することがなかった主婦たちが集まって、自分史を書いたというものであった。その歴史的な意義は、「ふつうの人びと」が自分の歴史や日常的なことを書き残すことであった。
現在では、各地の行政で行われている自分史講座で自分史は書かれている。愛知県春日井市の場合は、行政が自分史を推進し、毎年、講座を開いている。その講座を受講したものが、「自分史サークル」を設立し、そのサークルのメンバーが定期的に集まり、自分史を書く。それぞれの自分史を輪読し、サークル内で批評しながら、グループで書くという形式をとっている。
行政ではなく、自分史を出版し注目された人が、自分史を書くことの楽しさを伝えるために、カルチャー・センターで講座を開いている場合も多い。名古屋で言うと、中日ドラゴンズの選手だった平野選手の姉、内藤洋子さんは、『わが故郷は平野金物店』を書いた。内藤さんもある文章講座に参加していて、講座の講師から自分史をまとめてみないかと勧められて書いたものである。父親を小学6年生、そして、母親を高校2年生の時に亡くし、姉と弟二人だけで生きた青春物語だった。弟が中日ドラゴンズの選手だったことも話題になりNHKのテレビ・ドラマ新銀河『ようこそ青春金物店』として連続ドラマ化された。それがきっかけになり、内藤さんは有名になりエッセイを書いたり、自分史に関する講演を全国で行ったりしながら、名古屋のカルチャー・センターで長年にわたり、自分史講座を開いている。そこでも、受講生によって自分史が書かれている。
さらに、鈴木政子さんも「母さんの自分史」と評された『あの日夕焼け―母さんの太平洋戦争』という自分史を書いた経験から、自分史を書く意義を人びとに伝えたいと思い、自分史講座を開き、講師として教えた経験を記録にし、『自分史―それぞれの書き方とまとめ方』を出版している。自分にとって強烈な人生の出来事を自分史として書いたことで、自分史を書くことの意義を実感し、そのことが評価されたことで、自分史講座を開き、自分史、あるいは自分史的エッセイを書くことを勧めている。そのような講座に参加する人たちが自分史を書いている。

3.自分史の種類

 自分史の種類について少し述べたい。自分史サークルが定期的に集まって、それぞれの自分史を書き、それを手作りで冊子にまとめているような場合がある。一人が書くページ数としては、4~5ページ。サークルの仲間ともに書いたものを共有するという形で、短いエッセイのような自分史を編集するという形式である。講師の平岡さんの指導の下、春日井市自分史の友の会の『わだち』は2011年月で第50号を出版するに至っている。
 次に、比較的短い自分史作品を全国に公募したことがきっかけで生まれる自分史。『伝えたい私の物語』掌編自分史作品集は、春日井市民文化財団が全国の人びとに比較的短い自分史作品の投稿を募ったものである。原稿用紙7~8枚という限定で募集し、269の投稿の中から、60を審査委員が選出し、編集した。書いた分量としては、3000字程度の短いものであり、1冊の本としての自分史とは異なった形式だが、それぞれの生きた人生の物語のエッセンスが物語として書かれている。同じような形式で、全国的な規模で「戦争体験」にかかわる自分史作品を募集することも、戦後50年、60年などという節目に行われている。「戦争体験」「戦争被災者体験」などが多く募集されているのもそれにあたる。『戦後六十年 語り継ぎたいあの大戦』などはその代表的なもので、これも原稿用紙で十枚以内のものを編集した本になっている。

4.若い世代の自分史作品の特徴

 本プロジェクトの「自分史的エッセイ」として書かれたものは、ほとんどが若い世代のものであるので、どのように若い世代が自分史作品を書くようになったかについて、小林の議論を整理したい。小林によれば、その動機は3つのキーワードで説明される。
第1のキーワードは、「ふり返る」あるいは、「整理する」ことであり、人生の経験を秩序づけるために自分は書かれている。ふり返ることで、過去の自己は現在の自己から立ち上がり、客体化される。文字で綴ることで、読めるものになり、可視化される。可視化することにより自分の経験を秩序づけるのである。その意味で、自分史を書くことで、それまであいまいであった自分を見つめ直し、「自己理解」を深めることができる。
 第2のキーワードは、「自分探し」であり、過去の自分と向き合い、現在の自己への連続性を確かなものにするために、自己の物語をつむぎだす。自分が何者であるか、自己のアイデンティを探求するために自分史が書かれる時、それは、「自分に語って聞かせる物語」にほかならない。「自分探し」もまた、自分が何者であるかの理解を深めるという意味で、「自己理解」を深める別の側面であり、一貫した自分の物語を書くことで、現在の自分の安定性を構築しようとしたものである。
 第3のキーワードは、「他者への呈示」であり、自己の物語は他者に語って聞かせるストーリーであると言える。自己のアイデンティティは他者が共有してくれることによって、はじめて成立するストーリーである。現在の自己を確かにするには、自分自身だけでなく他者の確認も不可欠なのである。だから、つむぎだされた自己の物語は、他者にも読まれなければならないのである。若い世代にとって、自分史とは、自己と他者との双方へ同時に呈示される自己の物語なのである。この「他者への呈示」という側面は、「語られる自己」あるいは「他人に理解される自己」とは何かを認識することである。そして、自分史の書き手は、他者という鏡に映った自己の軌跡を確認する。他人の視点を入れることにより、「自己変革」にいたる可能性もあると言える。

5.物語論からみた自分史的エッセイ

 本プロジェクトで取り扱っている「自分史的エッセイ」を物語と見なし理解することで、自分史的エッセイを書く意味が明確になると思われる。この節では、自分史的エッセイを書くことは、「語られた自己」の記述であるという物語論から、自分的エッセイを書く意味について考えたい。
野口(2002:21-50)は、「語り」と「物語」は区別される関係にあると同時に、相互に関連する関係にもあると言う。伝記や自分史のような文字形式にされたものを含む「語り」から物語が生まれ、物語になった時、人びとへの影響は大きくなる。また、逆に、「語り」が「物語」から生まれるという場合もある。自分史を書いた人は、自分の人生をその自分史のシナリオに沿うような形で「語る」傾向がある。その意味で、「語り」は「物語」の延長上に生み出されていくのである。
 では、「物語」という形式は私たちにどのような機能を果たすのであろうか。論理的に説明のつかない異常で不可解な事件でも一つの「物語」として理解された時、その事件を理解したと感じる。その意味で、「物語」という形式は現実に一つのまとまりを与え、了解可能なものにしてくれ、「物語」は現実を組織化し、混沌とした世界に意味の一貫性を与えてくれる。ただし、「物語」は以上のような「現実組織化作用」だけでなく、現実理解の方向づけをする「現実制約作用」もあるという。いったん語られた「物語」によって、それぞれの生き方が制約される可能性があるので、「物語」は何度も語り直されなければならない。
 その語り直しの際に重要なことは、「物語」としての一貫性は、「現在」が「物語」の結末になるように組織化されるということで得られるという点である。野口の言葉を借りれば、
    現在、自分がしていること、現在、自分がおかれている境遇、現在の自分の苦しみや悩み、
   それが物語の結末とならざるを得ない。逆に言えば、この「現在」を説明する形で、「過去」が配列される。
   この「現在」に関係しないような「過去」の出来事は、省略されたり、無視されたりする。そうすることで、
   物語としての一貫性が保たれる。したがって、「現在」が変わるたびに、物語は書き換えられなければ
   ならない。(野口2002:44-45)
 やまだ(2000:28-30)もまた、「物語」形式によって自己が語られ、構築されると述べ、「物語としての自己」の4つの重要な側面に言及している。まず第1に、物語は、「相互作用」の中で語られるので、自己は個では定義されず、本質的に他者に媒介される存在、関係概念と見なされる。「自己」は個人の内面に閉ざされたものではなく、他者を媒介とし、他者に向かって語る時に、自己が生成される。第2に、自己の構成に文化や社会や歴史的文脈がかかわる。自己を時間的存在、歴史的存在としてみることは、自己が他人になる、あるいは他人が自己になる、変身の可能性を含んだ存在としてとらえることができる。第3に、物語は過去と現在の自己を結ぶだけでなく、未来の自己、可能性としての自己を有機的に意味付け組織する。第4に、「物語としての自己」という見方は、「自己の語り直し」を促し、自己を生成的に変化さる可能性をもつものである。このように、やまだによれば、「自己の物語を語ることは私的で個人的な作業でありながら、共同体の歴史を作る作業とも重なって」いくのである。
 小林(2000:89-91)もまた、自己の経験を物語として語ることの意味について、3点にまとめている。第1点目は、自己を物語る主題は、「秩序づけたい経験であり、表出したい経験であり、読まれたい経験」で、「一つのプロットで描かれ、物語で秩序づけようとする経験」である。第2点目は、物語は一つでなく、主題が異なれば別のヴァージョンの物語がありうるということである。第3点目は、語ることは自己確認と他人による批准の重要性である。このように自己を物語化することによって、何かの自己変革が起こることを、また、物語ることで現在の自己を肯定する作用があり、このような物語効果はセラピーの分野でも実践され、物語ることがナラティヴ・アプローチの実践にも通ずる可能性があることを、小林は指摘している。
 自己変革を伴う物語生成あるいは「語り直し」には、良き聞き手、良き読み手と出会うことが重要である。人生の書き換えの可能性について論じている榎木(2002)は、「人はだれも物語的文脈で生きており、その物語的文脈に沿って目の前の現実を解釈し、日々の行動のとり方を決定し、また、過去の自分を回想し、自分の未来を予想する…」とし、自己の物語の書き換えで、過去も変わると論じている。
    だが、書き換えと言っても、過去に起こってしまった出来事を起こらなかったことにすることなど
   できるはずがない。できるのは、事実として出来事のもつ意味、その出来事が自分にとってどんな意味を
   もっているかについての解釈のし直しである。それは、出来事の意味を解釈する文脈として機能する
   自己物語の書き換えである。(榎木2002:83)
 榎木(2002:113)は、良き聞き手に出会うことによって、人は、自己開示の3つの効用を感じると論じている。
 まず第1に、カタルシス効果である。自己開示というのは、自己について他者に知らせること、つまり自分の考えていることや感じていること、過去の経験や将来の展望など、自分がどんな人間であるかがわかるような情報を他者に伝えることである。カタルシス効果というのは、胸の奥深くおしこめられていたものを誰かにぶちまけることによって、気持ちがスッキリし、ストレスが軽減されることをさす。
 第2に、「自己洞察効果」である。それは、自己の体験や思いをありのまま何度も繰り返し語ることによって、自己の内面に対する洞察が促進され、考えがまとまったり、気持ちの整理がついたりすることをさす。
 第3は、「不安定低減効果」である。同じような体験をした者同士が自己の内面をさらけ出しあうことによって、他の人も同じような思いや悩み、症状をもっていることを知り、それによって自分の反応が正常なものであることが認識され、不安が低減することをさす。
さらに、ロバート・アトキンソン(2006年)も、自分史を書かせる、ストーリーを語ることについて、以下の10つの機能をあげている。
  ① 学生たちが語り、書くストーリーは、自己発見の道具でもある。
  ② 語り、書くことで自己変革の可能性が生まれる。自らは人間という存在以上の、
    もっと神聖な存在であることに気づく。
  ③ ライフストーリーを語ることは、人生に意味を与え、意味づけを必要とする過去の出来事を癒し、
    自己をそのまま受けとるもっとも重要な方法である。
  ④ 今まで曖昧だった自分自身の体験と感情が明確になり、そこに新しい意味解釈が生まれる。
  ⑤ 自己認識が深まり、肯定的な自己イメージが生まれ、将来に対してポジティヴに考えるようになる。
  ⑥ 自分が経験したことは自分だけの体験で、他の人と共有できない特異なものであると感じていたことが、
    実際は、そのような体験は他人にも起こっていることであることを知り、他人と共有することで
    新しい解釈が生まれる。
  ⑦ 自分の体験を他人と共有することで、喜び、満足、内面の平穏を得られる可能性がある。
  ⑧ ある種の重荷から解放され、経験が正当化される。
  ⑨ 自分が孤立した人間であるという視点を超え、「人間の共同体」と自分を関係づける可能性がある。
  ⑩ 語り、書くプロセスで、自分の視点だけでなく、他人の視点が入り、人生の見方が変化する。

 以上、自分史的エッセイを書くことを物語、ストーリーを書くことと見なし、それがもつさまざまな意味と機能について述べてきた。第7章では、物語論の視点から、ライフストーリー研究の教育実践の可能性を考察したい。



参考文献


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浅野智彦 2001、『自己への物語論的接近―家族治療から社会学へ』頸草書房
色川大吉 2000、『“元祖”が語る自分史のすべて』草の根出版会
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色川大吉 2005、『カチューシャの青春 昭和自分史』小学館
色川大吉 2005、『廃墟に立つ 昭和自分史』小学館
榎木博明 2002、『〈ほんとうの自分〉のつくり方―自己物語の心理学』講談社
かすがい市民文化財団 2006、『伝えたい私の物語』サンライズ出版
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 書
鈴木政子 1980、『あの日夕焼け 母さんの太平洋戦争』立風書房
鈴木政子 1986、『自分史 それぞれの書き方とまとめ方』日本エディタースクール出版部
高木敏子 2000、『ガラスのうさぎ』金の星社
塚田守 2009、「「戦争体験」の語り継ぎ―自分史作品の分析から」『椙山女学園大学研究論
 集』第40号(社会科学篇):13-28頁
内藤洋子 1991、『わが故郷は平野金物店』エフェー出版
中野 卓 1992、『「学徒出陣」前夜―ある従軍学生のみた戦争』新曜社
野口裕三 2002、『物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ』医学書院
やまだようこ 2000、『人生を物語る―生成のライフストーリー』ミネルヴァ書房
吉澤輝夫編集 1995、『現代のエスプリ―自分史』338号
 

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