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2012.05. 4 女子大生の就職活動③ (女子大生の就活ストーリー③)

 

地元企業に焦点をあてて

 

 

はじめに

 

 

 三人目の「一直線」タイプとして、佐藤さんについてのお話しをしたいと思います。「はじめに」で言った二つの軸の「自分の個性」を知っているか、「希望する企業があるか」で考えていきますと、佐藤さんの特徴は、いろいろなことを一生懸命行うタイプですが、「自分の好み」がはっきりしており、自分の直感、好き嫌いの基準があるタイプで、かつ、応募する企業は地元だけであるということでした。佐藤さんの就職条件は、就職を機に自分が生まれ育った地元を出ることではなく、小さい頃からの地元の友だちとこれからも付き合うことができることが必須の条件でした。その地元志向に加え、就職しても愛する家族たちとともに過ごしたいということも、必修の条件でした。だから、彼女がめざす就職先は、地元企業だけに限定されていました。

 佐藤さんは、なぜ、ここまで、地元にこだわるのかを、高校時代のこと、そして、大学に入学してからのこと、さらに、家族関係などの関係で見てみたい。それでは、地元企業をめざした彼女の就職活動のストーリーを聞いてみたいと思います。

 

 

 

家族背景

 

 地域では老舗のうどん屋を営む家に生まれた佐藤さん。小さい頃、両親がいつも忙しくして、自分たちを相手にしてくれないことに淋しさを感じたこともあったが、高校に進学する頃には、仕事だけにしか興味を持っていないような両親に、自分を含む子供への愛情を実感し、両親たちとこれからも生きたいと思うようになった、というエピソードがあるという。仕事ばかりしていて、自分たちに食事の準備もしてくれない親に姉が訴えた時のことを佐藤さんは、自分史的エッセイに書いている。

姉は反抗期で、親にむかって、「ご飯まだなん? お腹減って死にそうなんやけど!」と不機嫌な態度をとった。それを見て父は、

「何で待っとれへんのや! 何も手伝わんと、そんな文句を言うな。こっちは仕事中やわ!」

と姉に向かって激しく怒鳴った。姉は怒りをむき出しにし、「もぅ、仕事ばっかで、うちらのこと何もしてくれやん。仕事の方が大事なん? あたしらは大事じゃないんやん」と父に泣きながら訴えていた。

私も姉と同じことを思っていた。姉が怒鳴った瞬間、私も言ってやろうという気分になった。しかしやっぱりそんなことはできなかった。思わぬことを父親から言われてしまったからだ。

「仕事が大事や! だから、お前らには今かまっとれんのや!!」

そう、父には仕事のほうが大事だった。母も何も言わずに店のことをしていた。無関心なのかと思うくらい冷たい態度だったと思う。

こんなエピソードがあってから、佐藤さんは、両親が自分たちには無関心で、愛情を持っていないのではないかと思うことがよくありました。そして、高校受験のための勉強している時は、親を憎むほどになり、反発することもよくあったという。入試の前日に、突然、父親が部屋に入ってきて佐藤さんに話しかけてきました。その時から、佐藤さんは両親たちの愛情を感じることができるようになったという。彼女の書いた文章。

入試の前夜、何故か父が、勉強している私の部屋に来た。私の体調を心配してきたようだった。そして、父は目を真っ赤にさせて私に言った。

大事なときに悪かったな、集中できへんかったやろ? お母さんら、みんな心配していろいろ言ってきたわけやけどな。お前がやりたいようにやればいいんやでな。無理しやんでもいいけど、頑張れるだけ頑張ってほしい。ちゃんと寝て、明日頑張ってな。 

と言った。父は三人兄妹の長男で、先祖から受け継いで今のお店を経営している。父は高校生の頃、車が大好きで将来は車関係の仕事をしたかったようだ。しかし、祖父が強制的に父を名古屋に修業に出して将来を決められてしまったのだ。父は何も言えず、ただ従うしかなかった。祖父も同じだった。長男の祖父は勤勉で学生時代に大学への進学を希望していたようだ。しかし、親から強いられてお店を継ぐことになったのだ。そんな祖父の気持ちもわかったから、父は納得して仕事を受け継いだのだった。しかし、五年生のときに生まれた妹を含めてうちは三姉妹。

「お前らには好きな道を進んでほしい。俺は好きなことはできへんかったけど、今の仕事を好きになって頑張れとる。間違った道に進んだわけやないけどな」

私は父からこう聞いたとき、胸が痛くなった。

このようなことがあってからは、佐藤さんは、両親の子どもに対する愛情を感じ、高校は地元の進学校に入学し、地元の高校生活を楽しむようになりました。

 

就職活動、始動

地元の国立大学には不合格でしたので、大学は都会に出たいという思いから今の私立女子大学に入学しました。大学に入学してから、バイトと大学の生活で忙しい日々。 四年生の五月頃手帳を見せてもらって驚きました。毎日、バイトと就職活動の予定でぎっしりと詰まっていました。この忙しいスケジュールの中でもゼミには毎回出席していました。両親にはあまり負担をかけたくないので、月に十万円ほどバイトで稼いでいるという。いつも笑顔で、「毎日、大変なんです」とよく言っていました。発表やレポートになると徹夜して、その課題をこなす「頑張り屋」の代名詞の佐藤さんでした。ゼミでは個性を発揮し、自分の意見をはっきりと自然に表現する学生。その彼女の友人関係は地元志向でした。徹夜してでも、地域の祭りに三日間続けて参加し、地元の仲間たちと盛り上がっていると聞いたことがあります。なぜ地元の企業に勤めるのかと聞いたことがあります。「両親とともに生きること」が彼女の人生設計の一部としてあるということを言っていました。小さい頃から自営で働く親の姿を見ていて、親たちを大切にしたいと考えている「親孝行娘」という印象が強い学生でした。姉も、地方の国立大学の夜間部に行き、仕送りも全く受けず、四年間過ごし、今は地元に帰り就職をしているという。

佐藤さんは、地元のパン屋で定期的にバイトをしているほかに、時々、地元企業のコンパニオンをしています。親たちの苦労を見てきているので、大学に入ったら、「金銭的に世話になってはいけない」と考えて、月額一〇万円程度を稼ぎ、貯金も一二〇万円ほどあるという。コンパニオンという仕事は一般的なイメージとは異なり、両親公認のバイトで、叔母さんの紹介で、企業に呼ばれ、社員などにお酒を注ぐ仕事。決して個人的に付き合うということではなく、パーティー会場などで、話を合わせてお酒を注ぐだけの仕事。「私は、人の話を聞くのは好きやし、お酒も好きなので、楽しいです」と明るいコンパニオンのバイトである。

 そんな佐藤さんの就職活動は、三年生の後期、春から始まりました。

 

就職活動は大変だ!

 

どんな企業の情報にもアンテナをはり、いろいろな所に応募し、説明会に参加したが、結局、「自分に合うかどうか」でその企業を見きわめる。やみくもにどんな企業にも応募をすることはしませんでした。「違うな」と思った時は応募しないほど、自分自身の好みと判断を大切にして、自分にあった企業をさがす日々でした。そんな日々のことを次のように書いている。

 コンピュータと毎日何時間も睨めっこして、どれだけ頑張ったと自分で思っても、それが結果にあらわれなかった。「就活の馬鹿野郎!」と何度も思ったけれど、「時代のせいにしてもいけないし企業のせいにもしてはいけないな」と思った。「動き方次第、考え方次第で、また結果がかわってくるんだな」ということは少なからず感じた。私は、採用活動を行っているかどうかわからない企業に突発で電話して問い合わせたこともある。今年に募集を出していない採用の枠についても、熱意をもって聞いてみた。履歴書を書いて説明会に参加しても、企業の話を聞いて「違うな」と思い、せっかく書いた履歴書も置いて来ずに帰ってきたこともある。「何も無駄になることなんて無いんだ」と言い聞かせて動いてきた。就職活動にも「自分なりの創意工夫が必要なんだな」と感じた。そんな就職活動の日々だった。

 地元の企業で働きたいという思いから、その地域のすべての企業の情報を集め活動する就職活動は、佐藤さんの地元への強い思いからでした。そして、自分の「違うな」という直感で企業選択をしていました。

 

エントリーシートを書いて

 

エントリーシートが通ることが就職への第一歩なので、そのステップをうまく進めるかが就職のキーになります。エントリーシートを書くこと自体は自分の希望や動機を考える機会になり、自己分析をすることになります。自己分析を基に自己表現できます。面接に進むことはそれが認められたことであり、佐藤さんだけでなく、その喜びは格別です。

エントリーシートや履歴書を書くことが就活のなかで一番労力を使ったと言えるかもしれない。エントリーシートの書き方を大学の就職セミナー聞いても、就活本で勉強して理解しても、いざ書くとなったらなかなか進むものではなかった。でも、これを書かないと受けられないので、一枚に一~二時間。志望動機がなかなか思いつかない時は、企業のホームページを見て研究するだけでも数時間かけて、一枚一枚書き上げていた。このエントリーシートというものに、私は疑問を持った。もちろん、書いたことが企業に伝わって、私がどんなことをしてきたか、どんな人間かというものがわかってもらえたら、時間をかけた甲斐あると思えた。しかし、「このエントリーシートを本当に読んでくれているのかな?」という疑問もあった。また、いくつかの企業では、説明会の時点で履歴書や会社が指定したエントリーシートを提出しなければならないところがあった。まだ企業の方の話を聞いていないし、自分の知りたいことや質問したいことなどにまだ疑問を持ったままでいるのに、「志望動機なんてしっかり書けないんじゃないか」と。そんな思いのなか、三十枚以上のエントリーシートや履歴書を書いた。でも、やっぱり、何時間もかけて書いたエントリーシートが通って面接に進めたときはすごく嬉しかったのは事実だった。

エントリーシートを書くことは、多くの学生にとって初めてで、難しい経験です。企業への志望動機と言われても、その企業の説明会にも出席せずに書かなければいけないこともあるようです。そんな矛盾に怒りを覚えながら、いろいろ模索しながらエントリーシートを書いていた佐藤さんは、典型的な「就活中の学生」でした。エントリーシートを量産し、提出する中で、いくつかは通ることがありました。そして、次の段階には、面接が待っていました。

 

面接は相性

 

エントリーシートが通ったら、企業に面接に呼ばれます。学生たちは、これで採用内定がもらえるのではないかと真剣な態度に臨みます。佐藤さんの体験。

私は面接を何回経験しても慣れなかった。私自身、圧迫面接というものを経験することなく、それほど辛くないように思われたが、実際そうでもなかった。面接官の方の態度は理解できなかった。面接の時に、あたかもすごく好印象のように対応してくれた会社でも「お祈りのメール」(メールでの不採用通知)を送ってくる。私がそのなかで頑張れたことは、「絶対前の子達と同じネタを話さないこと」と「無理やり作った文章を話すのではなく、なるべく伝わりやすい自分の言葉ではっきり話すこと」だった。

私は地元の企業を中心に受けていたので、家族との関係や地域と自分の間にある関わり(地元の祭やボランティアなど)を大切にしていることなど、自分の価値観と考え方をはっきりさせて伝えた。「どの会社が良いか、悪いかではない」と思う。「応募した会社に合うか合わないかだ」と何十回も経験した面接を通じて感じていった。「会社によってもどこを見ているかがきっと全然違う。それだったら、本当に見てほしいところを見せよう」という考え面接に挑んでいた。

自分の好みと長所を理解して上で面接に臨むことが一番大切であるというのが、佐藤さんの経験でした。「就活マニュアル本」に書いてある面接の方法は一般的に当てはまるようで、具体的な人には当てはまらないことが多いようで、佐藤さんは、自分の希望に正直になり、「地元志向」を強調するという戦略で、自分の思っていることを、「なるべく伝わりやすい自分の言葉ではっきり話すこと」で、他の応募者とは違うアピールでき、その熱意が伝たわり、結果的に内定をもらえることができたようです。

 

内定を受けとる

 

内定を受けるまでの日々は辛い生活ですが、佐藤さんは、この就職難のなかで、比較的早い段階の六月には内定を受け取りました。全国の就職内定率はまだ、二五パーセントまで行っていない時期でした。やみくもに、一流企業をめざすのではなく、「地元志向」を貫き、自分の将来設計のなかに就職活動を位置付けた佐藤さんの戦略は、適切なものであったと言えるでしょう。一年間の就職活動をふり返った時、この就職活動というものがいかに佐藤さんにとって、自分を見つめ、自分と戦いをする日々であったかが、よくわかります。佐藤さんは書いています。

私が内定をもらうのには丸々一年かかった。というのも、三年の夏にインターンシップに参加したかったので、そのための書類作成などが私の就活のスタートだったから。結局、そのインターンの選考には落ちて、もうこの時点で、採用試験にも落ちた気分になって自信を失くしていた。私は十月にリクナビやマイナビがオープンすると同時に、手帳が真っ赤になるほどぎっしりの予定で就活を行っていた。一日に三社も説明会に回ったり、大阪などにも足を運んだ。

本当に何度も泣いたし、止めたくなったり、何をしたいかわからなくなって自分を見失ったりして、「就活は厳しい」と知っていたものの「努力と結果が比例しない」と感じるほどに嫌気がさしていた。そんな中、自分がその時に残っていた会社の中で一番行きたい意志が強かった企業から内定の連絡があった。嬉しすぎて、泣いてしまった。もう諦めていたので、次に受ける企業を捜していたところだった。佐藤さんは、この瞬間に、「一年間、本当に動き回っていろんなことを考えて悩んできて良かったな」と思もえました。「内定は、また試練のスタートにもなるんだな」とも感じています。内定をもらったいま、人事の方や選考に関わった企業の方に、「私を採用して本当に良かった」と思ってもらえる人材になりたいと思っています。そして、「せっかく内定をいただいたからには、そこでずっと働き続けてキャリアアップしたい」という思いが高まったそうです。母親は自営業に嫁いだので、今でも家でずっと仕事を続けている。佐藤さんは、そんな母親の働く姿をずっと見て育ってきました。佐藤さん自身も、そんな母のように家事も育児も仕事もこなせる社会人になりたいと思っています。自営で毎日忙しく働いている母親の姿は、佐藤さんのロールモデルでもある。そして、そのロールモデルを追い、子育てをしながら働く女性として生きることが彼女の今後のライフコースになるのです。

 

まとめ

 

自分が何を求めているかを知っているかで、就職活動に情熱を傾けることができるようです。佐藤さんの場合、これからも地元に住み、親たち家族と、地元の友だちと過ごしたいという強い思いがあったからこそ、地元のあらゆる企業に応募することができました。地元にいたいという思いが強かったので、その熱意が伝わったのではないかと思えるケースです。そして、それは、自分の将来の生き方を見据えた就職活動であったと言えるのではないでしょうか。佐藤さんの就職先は、大企業でもエリート企業でもないかもしれないですが、佐藤さんにとっては、就職できた地元企業こそ、自分の居場所であり、活躍する場所になるのであろう。

さて、佐藤さんの話から、就職活動についてのどんなヒントが読みとれるでしょうか。

1.  自分の好み、生き方は、自分で決めることが大切で、世間的な評判である大企業とか一流企業をめざすことが全てではないということがまず言えると思います。佐藤さんの大学卒業してからのライフコースは、地域の仲間、家族とともに生きることは一番大切なこととしてあります。それは、小さい頃から、地域の中で育ち、育てられたという思いからではないでしょうか。若者は、地域社会を出て、憧れた都会に就職をすることがキラキラして輝いているかのように言われていますが、佐藤さんにとっては、住み慣れた地域が、キラキラ輝く居場所なのだと思います。その意味で、就職を決める時に、世間的な基準ではなく、自分が持つ好みを基準とすることも就職を考える重要なポイントなのだと言えるのです。

2.  女性として生きるということも、佐藤さんにとって重要な基準でした。女性として生きるということは、ロールモデルである母親のように生きたいということでもありました。大学卒業して、地域で結婚し、子どもを産んで、家族の近くで住むという人生設計を持ち就職活動をしていた佐藤さん。卒業論文では、結婚した女性の働き方をテーマとして、「副業の在り方、可能性」について、文献やインタビュー記事の分析などから考察しています。このテーマこそ、彼女が結婚してからの働き方の可能性を考えるための研究だったともいえます。結婚し、子どもを出産し、愛情を持って育児をしていく生き方、そんな生き方を選んでの、就職活動だったのではないでしょうか。女性として今後どのように生きたいかという問いをしてから、就職活動をすることは、基本ではないかと思われます。

3.  地元には企業がそれほど多くないので、採用活動も少ない傾向がありました。地元に限定していたので、応募する職種なども限定されていて、佐藤さんが内定を受け取るまでに時間がかかったとも言えると思います。しかし、「地元で働きたい」という強い思いを変えず、就職活動を続けた結果、彼女自身が満足できる企業から内定を受け取ることができました。もし、ある時期に、その思いを忘れ、自分の好みに合わない企業に応募し、内定をもらっていたとしたら、その就職は、世間的には評価が高くても、佐藤さんにとっては十分満足なものにならなかったかもしれません。「自分の強い思い」を変えずに続ければ、その思いは達成できるのだ、ということの一つの例を佐藤さんの就職活動の結果がしめしているのではないでしょうか。

 

 

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運営:椙山女学園大学国際コミュニケーション学部「ライフストーリー文庫~きのうの私~」編集室