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2012.04.23 女子大生の就職活動② (女子大生の就活ストーリー②)

 

A.一直線タイプ
 
自分の力を発揮できる職に絞って
 
はじめに
 
 河合(仮名)さんは特異な経験をもつ学生です。理系の学部に入学して二年間過ごした後、アメリカ、フィリピンなどで二年間過ごしました。アメリカでは、ロサンゼルスでDJをして、自分のCDを発売したこともあるほど社会的活動に積極的な女性です。一年間アメリカで過ごした後、フィリピンのスラム街に住み、スラムの子供たちの支援のボランティア活動もしていたようです。三年生から転学部で私が教えている学部に入ってきました。
どのゼミを選ぶかと考えた時に、「日米比較社会研究」を看板としている私のゼミに入る決心をして、研究室に訪ねてきました。その時の印象とその後の河合さんとのギャップはなんだったんだろうかと思うほど、研究室を訪ねてきた時の河合さんは緊張して神経質そうに見えました。しかし、三年生から、ゼミに所属して、二歳上であることを意識することもなく、他の学生たちと融け込み、リーダーシップを発揮、中心的役割を果たしてきたように思います。
三年生の夏には、ネットで全国的に広告されていたインターンシップに申し込み、選抜され、上海のホテルで一か月のインターンシップを行った経験も持っています。一般的に見られる学生のイメージの想定を越えた活動範囲に驚いたものでした。
驚かされたもうひとつのエピソード。三年の一〇月中旬ごろでした。ゼミも半年ほど過ぎた頃で、みんなが仲良くなってきた時、「バーベキューでもしたいね」と誰かが言ったことに対して、河合さんは、躊躇なく答えました。
「うちでやろうよ。いつでもいいよ」
その返答に対して、教師として、
「まず、ご両親に許可をもらってからにしましょう」と言うと、
「うちは、いつでも大丈夫です」という返答が返ってきました。
結局、ゼミの一〇数名がゼミの一人である河合さんの自宅を訪ね、午後から夜までバーベキュー・パーティーをすることができました。その時に、ご家族のおばあちゃんやお母さん、そして、たぶん、お父さんもいたのですが、河合さんがすることをそのまま、受け入れている家族なのだという印象を持ちました。お母さんが出てこられたので、教師として、
「どうも、ご迷惑をかけます」
という趣旨のことを申し上げたところ、
「娘は自分の好きなことを自由にやっているので、好きなようにやらせています。お気遣いはなさらないように」
という返事でした。河合さんの強烈な個性は、この家族の中で生まれたものだとその時に思ったものでした。そんな自由奔放に生きる河合さんの大学生活もまた、彼女らしい個性を持ったものでした。大学生活をどのように考えてきたかについて、話したこと、文章で書いてくれたことを簡単にまとめ、彼女の個性の理解につなげたいと思います。
 
大学は勉強するところ
 
 この本を企画した時に、みんなに大学生活のことについても文章を書いてもらっていました。河合さんも大学について意見が書いてもらっていました。河合さんは言う。
大学というところは、学費も高いところなので、転学部してからは、大学生という意識も出てきた。大学一年生の時は、管理栄養学科にいて、朝から晩まで授業が詰まっていて、自分のしたいことをしているというよりは、ただ勉強しているだけという感じだっただけで、単位さえ取れればよいという気持ちでいたが、三~四年生になって、勉強する意味がわかって来て楽しくなった。
 三年生から転学部してからは、自分の好きなことが勉強できるようになり楽しくなった。それは、二年間の休学生活が影響していると思うと言っています。休学中に海外で住んだりして、いろいろな体験をしたので、勉強することの意味が違ってきたのだと。休学の二年間の体験が河合さんの大学に対する意識、ものの見方に大きく変えることになったようです。
 バーベキュー・パーティーのエピソードに見られたように、「うちの家族は自由放任なので、何も言わない」ので、就職活動も誰にも相談せずに、自分で考えて行っていました。「先生、私は、商社に就職します」とある時言っていましたので、「頑張ってくださいね」と答えたりはしたと思いますが、エントリーシートの書き方などには殆ど相談に乗らず、書いたものを見て、「これでいいですね」と言った記憶があるだけです。また、卒業論文のテーマの設定、その研究方法も、「私は、幸福感の国際比較調査に疑問を持ったので、それを研究します」と言っただけで、関連した論文を次々と読み、しばらくしたら、完成度が高い草稿を提出する学生でした。河合さんは、何に対しても、自分で決め、自分のやり方で、どんどんものごとを進める「自立心の強い」学生という意味では、他の学生とかなり異なった個性を持っていました。
こんな強烈な個性を持つ河合さんは、自分の実力を認めてくれる会社、自分が重要な役割を果たせる会社に総合職して働きたいと思ったのは、ごく自然なことだったと思います。自分がどう働きたいかという「個」を強く持った学生で、自分が就職して何をしたいか、そのためには、どんな企業を自分がめざすべきかも知っていた学生でした。就職活動について河合さんが書いたことに触れながら、彼女にとっての就職活動を見てみます。その前に、いつ頃から、このような強烈な個性を持つ女性になったのかを彼女が書いた「人間関係」についての文章を読んでみましょう。
 
小学生の時から個性的
 
河合さんの個性はすでに小学校の時からだったようです。人間関係についての文章の中に、次のように書いています。
 
私は、人間関係が苦手だ。小学校を卒業する手前に、当時担任であった男に突然呼び出された。「おまえは、白と黒しか持ってない。今後はグレイも持っていなきゃ駄目だ」と言われた。その時は、その男が大嫌いだった事もあり、「何言ってんだ、クソジジイ」位にしか思わなかったが、今考えたら、要するに、その男は普段の私への鬱憤を晴らしたかったんだと思う。白と黒、というように。私は、必要性・重要性とか、ばかり考えるし、理由がない事が大嫌い。テストはほぼ一〇〇点だったけど、そう言えば、授業はちゃんと聞いてなかったと思う。その時の私は、「そんなの教科書読めばわかるし」といった感じだったのだ。そんな我の強い私をその先生は嫌っていた。当たり前だと思う。しかし、何も考えなかった私は、「(先生を)クソジジイ(呼んだ)」のまま中学生になり、「クソジジイのまま」テストは常に上位だが、授業はよくサボる、仲間同士で職員室によく呼び出されていたが、先生はよく、「おまえは頭がいいからわかるだろ」と言っていた。
小学校、中学校と先生に対して反発しながら、「できる子」でした。そんな生徒だったので、いじめに会うこともありましたが、いじめに対しても、まったく動じない中学生でした。いじめについての思い出話。
 
中学はいじめが順番に回ってくる。私が集団無視をうける番も何度か回ってきたが、そんな時も、意味のないものには、「くだらない」としか思わなかった。今思ったら人間関係自体に、意味を見出せず=くだらないと思っていたのかもしれない。一方でみんなの事が好き・仲良くしたいという気持ちと、友情関係から何か見出せる事を期待しても満足できないもどかしさとが常に格闘していた。今はというと、私の自慢できる事の一つが大切な人がたくさんいるという事。「くだらない、と思うこと自体が虚しく、意味のないものだ」といつのまにか思うようになっていたからだと思う。他人は生まれた瞬間から、違う環境で、違うものを見て、私の知らない事を知っている。そんな人たちと触れ合う事は何よりも喜びであると今は思える」
 
 中学生の時とは違い、いまでは、大学の中での人間関係を大切にしている河合さんです。そして、自分とは価値観が違う友達から学ぶ姿勢が重要だとも思っているようです。しかし、就職活動では、「みんなと一緒」ではなく、「一匹狼」の個性を持って活動していたようです。では、その彼女の就職活動の体験を聞いてみましょう。
 
就職活動
 
就職難だなんていいわけ。ただ自分のスキルと会社のニーズがわかってないだけ。人に流されて人前にでる事がなかった人に企画総合職なんて向いてるわけないし、TOEIC六〇〇点そこそこしかない人に英語使う仕事なんて向いてないし。自分勝手にやりたい放題やる人に大手の事務は向かない
 
と書き、本気で就職の準備をしている者にとっては、就職活動は難しいものではないときっぱりと言っています。平均的な学生がこのような発言を聞いたら、怒りを覚えるかもしれません。平均的な学生は、わかっていてもそれができなくて悩んでいるわけですから。TOEICを少し勉強したらすぐに、八〇〇点以上の高い得点を取ってしまった河合さん。それ以上に、海外での二年間の経験が大きく、英語で自然にコミュニケーションをとる能力も身に付けています。
そんな彼女は、他の誰よりも早く内定を決めた学生です。それには、彼女にはそれだけの努力をしたんだという自負がありました。
 
実際、私は就職活動を始めてスグに第一希望の内定をもらった。周りには、「いいな」、「すごいね」、なんて言われるけど、「君たちより努力してるんだよ、私」って、毎度、のど元まででかかって、堪える。二月の私のスケジュールを見たら大抵の人は驚くだろう。週に六日はスーツを着て一日二~三軒の会社説明会。必死だったんじゃなくて、これは必須だと思う。
 
と言い切り、他の学生が就職活動に対してのんびりと構えていた時期から、全力で就職活動をしていた様子がうかがえます。ただ、やみくもに説明会に行き、手当たり次第にエントリーシートを提出するという方法をとっていませんでした。
 
日本にある会社は、聞いたことない会社の方が圧倒的に多い。ある程度やりたい事が決まっていても、実際に見てみないと自分に合う会社なんてわかんないという事で、海外との取引を積極的に行っている事、有名大学名に惑わされず個人を見てくれるであろう会社、社員の方々が仕事以外にも光る面を持っていて個性色が強い会社である事を条件に、ある程度ネット上の情報でふるいにかけた後の会社すべて、会社説明会もしくは直接問い合わせてコンタクトした。何度もいうが、これは必須だと私は信じていた。特に私達みたいな文系。そうすれば、自分が志望する企業なんて、わかる。私が書いたエントリーシートもしくは履歴書は計五枚である。三社、同時期に内定を頂き、一社は最終試験前に断った。残りの一社はというと、(これは私が初めてほれ込んだ企業だった、初めて履歴書も書いた)二次で落ちた。ほかの選考は一つも始まっておらずショックだった。私の就職活動は真っ暗なスタートだったのだ。
 
自分を十分理解し、会社を十分リサーチしてから希望する企業だけに応募しています。しかし、一番希望していた企業から内定をもらえなかったことで、就職活動について自分なりの戦略を考えることになったそうです。
 
「なぜ?」「何がだめだったの?」と、混乱しながらも冷静になって考えた時に、私の就職活動を成功させるための方法を見出したのである。会社を選ぶ際、まず最初にネット上で見つけられる条件、そして、コンタクトした時にわかる真実、最後に大切になるのが会社とのフィーリングである。なんとなく考えている人が多いが、最も重要であると気づいた。「私みたいな、一匹狼は、みんなでガンバロー! オー! みたいな、チームで動く会社は合わない、絶対合わない」といったところである。という事で最終的に決まった会社は貿易商社である。自分が喜びを感じながら働く事をイメージした時に、ぴったり合致する会社である。私は女性の総合職になるわけだが、その悩みも解決してくれる会社であるように思われる。女性総合職の実態として、一般職に毛が生えたような仕事しかできない、もしくは、男になるしかないか。私は女性でありつつも、それに躊躇する事なく働く事ができる理想的な会社とめぐり合った。就職活動とは、妥協じゃない、めぐり合わせともいうケド、そんな簡単な言葉じゃなくて、学生最後の自分探しの場であり同時に社会とはなんだという事を考える機会なんだと思う。
 
と書いている。この文章を読んだ就職活動中の皆さんは、河合さんのこの書き方にも、「自分とは違う」という印象を持つかもしれません。河合さんは、自分のことを「私みたいな、一匹狼」と呼び、集団主義的な会社で働けないと、自分の個性をしっかりと理解しています。そして、総合職として働ける職場をめざしたのでした。だからと言って、日本の企業の現実はそれほど甘くないことも自覚しているようです。
就職に対する不安は少しはある。総合職で、今までに誰も総合職になっていないので、上司の人が総合職の女性に慣れていないかもしれない。法的な条件が揃っていても、実際にそれが可能なのかもわからない。
という不安も感じながらも、総合職として働くチャレンジをしようとしています。
 
家族関係と将来のこと
 
強烈な個性を持ち生きることができるのは、家族のサポートがあって初めてできることです。河合さんには、「自分は家族に見守られながら生きている、家族に愛されているという感覚があるので、頑張れる」という気持ちがあります。
親たちからの経済的自立を考え、いまは週六~七回バイトを入れて働いていると言っています。そのバイトの目的は、もちろん、お金を稼ぐことだけれど、居心地の良い居場所としても役割を果たしているようです。月に十二万円ほど稼いでいます。このようにバイトを多く入れていても、授業を欠席することは殆どありませんでした。編入生として、他の学生よりも多くの授業を履修している河合さんでした。
 将来について話をしたことがあります。家族との関係では、親に孫を産んでやることが親孝行だと思っています。女性だから、自分が産んだ子は、「うちの子」だと考え得るので、孫を産んでやりたいと思っていると言っていました。もちろん、働く時に、子どもの面倒を見てくれることも期待し、総合職で働き続けることを希望しています。「お父さんは三年~四年で定年だし、お母さんは、パートで働いているので、そんなことを考えている。ただ、同時に、海外で勤めたいと思っている気があるので、そこには矛盾を感じる」と言いながら、キャリアをめざしたいと思っている今の自分と将来の自分とのギャップに思いをめぐらしながら、働くことを楽しみにしているようです。
さて、強烈な個性を持ち、総合商社に総合職として勤めようとしている河合さんのこの就職活動のストーリーから読者であるあなたへのメッセージはなんでしょうか。
 
1. まず、「自分を知るということ」が大切だということですね。「自己分析をして、 
就職先を考えましょう」とどの就活マニュアル本にも書いてあることだと思います
が、再確認してください。自分が就職して長い時間を過ごす職場、職種です。そ
の職場、職種が自分に合っていなければ、日々の仕事生活は決して楽しいもの
になるとは期待できないと思います。河合さんは自分を「一匹狼」と呼び、他の人
たちと一緒に何かをするよりも自分一人で、独立してする仕事が好きだというこ
とをはっきりとわかってから、本当に自分に合う企業を探したと言っています。基
本に戻って、自己分析をしてみてください。客観的で心理的な自己分析ではなく、
自分の好き嫌いをはっきりと考えた自己分析があなたにも必要かもしれません。
 
2. 企業を研究する方法として、河合さんの経験からヒントが読めると思います。自分の好み、個性を知り、客観的にどのような企業が自分にあっているかの、徹底した企業研究をすることが前提として重要だと言っているようですね。採用活動が始まって、自分がどの企業がよいかという基準を持たず、まずは、有名企業、大企業にどこでもよいから、インターネットで登録し、とりあえず、エントリーをして、それから、自分に合うかどうかわからない企業に応募することが、結果として、内定につながるかどうかは疑問ではないでしょうか。自分の個性を知り、企業を絞ることから、就職活動が始まるのです。そのような調査研究では、ゼミでテーマを考え、そのテーマについて、調査する研究方法が使えると思います。ゼミなどで学んだその研究方法を最大限に活用して、学んだことを自分のために使えるので、その意味では、ゼミでの発表や調査における工夫は、就職活動の準備の一環になると思います。
  「授業と就職は別物」とは考えず、授業で学んだ方法論を就職活動にも
  使ってほしいと思うのは、教師としての()かもしれません。
 
3. 最後に、河合さんに特徴的だったことは、社会活動に対して積極的に取り組んだということです。その基本的態度、そこでした経験が河合さんをスペシャルな存在にしているのかもしれません。本を読み、勉強すること、論理的思考を学ぶことは、重要であることは間違いないのですが、それ以上に、インターンシップ、ボランティア活動、それに、後の章で出てくる人たちに強い影響を与えた留学経験など、その人に強烈な影響を与えるものです。さらに、バイトもそのような経験にいれても良いかもしれません。高校生までのように、教室に座っていることが唯一の勉強ではなく、大学外で、いろいろな経験をすることによって、個性が生まれる可能性、自分を知る機会になるかもしれません。そんな様々な経験を多く持つこともまた、就職活動の重要な準備であると、河合さんのストーリーから読めるのではないでしょうか。
 

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運営:椙山女学園大学国際コミュニケーション学部「ライフストーリー文庫~きのうの私~」編集室