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2012.04. 3 「ふつう」の女子大生の就職活動 (女子大生の就活ストーリー①)

 第一章 「一直線」タイプ

 ここでは、異なった「一直線」タイプの四人の物語について書いてみます。それぞれが、「自分とはどのような人間であるか」をよく知り、それを知った上で、就職活動をしていった学生たちでした。物語は、就職活動中心ですが、大学生になるまでに経験したこと、大学生になって経験したことが、その就職活動の方向性を決めていたように思えます。一人ひとりの人生の経験の結果が就職活動になっていると印象を強く持ちました。

自分にあった証券業界をめざして

 はじめに

「タイミングと運と業界があっていたこと。これが、私がうまく就職できた原因だと思います」

と卒業も近くなった一月頃に、希望通りに進んだ就職活動について振り返っていた岩田さん。「なぜ、この業界なの」という質問に対して、「私を個人として、見てくれる業界なので選びました」と答える彼女。それに加えて、「証券業界っていうところは、女子の職場ではないじゃないですか。事務をやるとかどうとか。自分の実力次第、個人の頑張りですべてが決まるところだから好きなんです」ときっぱりと言う。

 そんな彼女だから、結婚観も一般的な女性の考え方と違うようでした。「私は、恋愛結婚なんて考えていません。お婿さんをもらって、岩田家を継ぐことを考えています」と言っていました。 

就職活動について、岩田さんが書いたこと、話したことを中心に見ていきます。

まず、彼女がある証券会社に提出したエントリーシートを見てみましょう。

 志望動機(三〇〇字)

世界の経済、社会を牽引している金融業界で働き、世界最先端の金融の流れに直接関わる仕事に就きたいと思っていました。更にお客様のために自分で何が出来るか考え、深く直接的に関わりたいという気持を持ち、日本人として日本企業のために、またアジア人として世界におけるアジアの成長に携わることの希望を実現できると考えたことが御社を強く志望する理由です。日本、世界の今と将来を見極める情報を素早く察知し、お客様の求める以上のものを提供しながら向上心を持ち続け高い目標を達成したいと考えています。証券業界で日本について、世界についてお客様と熱く語ることができるプロとして働く女性になることを目指したいと思っています。(二九九字)

 プロとして、個人として働く女性をめざすと志望動機に書いている文章は、まさに、岩田さんの正直な気持ちを表現したものでした。次に、証券会社をどのように考えているか、エントリーシートのもう一つの質問に答えて書いています。

証券営業という仕事のやりがい、難しさをどのように考えるか。(三〇〇字)

証券営業はお客様との間に深い信頼関係を築き、形のない商品に関わることだからこそ、私自身の真価が問われ、やりがいも難しさもあるように感じます。もちろん、お客様との信頼を築くことは私が考える以上に難しいと思います。しかし、その大きな困難にチャレンジすることにやりがいがあると考えます。まず、自分の知識を豊富にし、お客様と効果的でかつ心のこもったコミュニケーションを行い、信頼していただくことができるまでの過程にやりがいがあると思います。また、深くお付き合いさせていただきながら、証券取引の経験のない方にも、既に熟知されている方々にも喜んでいただくそれぞれに合うサービスをすることにもやりがいがあると思っています。(三〇四字)

仕事上で自分の「真価」が問われることを生きがいとして働きたいと書き、仕事上で、女性としてではなく、個人として評価されたいという強い思いが伝わるものになっています。

このようなことを書く岩田さんは、どうして、そこまで、個人としての評価に価値を置くのでしょうか。その答えは、高校受験の経験と私立高校での経験、さらに、一年間のニュージーランドでの留学経験があったようです。彼女が書いたライフストーリーの一部を引用し、その経験を理解してみようと思います。

優等生だった私

 中学時代の自分については、

私は中学一年生から本当に優等生。とーっても真面目な生徒だった。こんな簡単に一言で表せるくらいだ。定期テストの点数はいつも学年一〇位以内。学年一番をとったこともある。通知表は一年生の時から全ての科目オール五。四をとったのは三年生に体育で二回だけ

勉強ができる生徒として、常に一番でいることを普通だと思っていました。

みんなから頭が良くて羨ましいと言われたけど、それだけの勉強をしていたから点数とれるのは当たり前だ。人より勉強したら人より点数はとれるもんだ

と思い、土曜日、日曜日などは塾に通い、朝九時から夜九時まで勉強することがあったという。当時、彼女にとってはそのような勉強の仕方は普通のことでした。「別に無理をしていたわけじゃなかった。この私が私だった」と振り返っています。

このように勉強していた岩田さんだから、親たちから勉強するように言われたのではないかと想像するのが一般的ですが、母親は、

 「毎回、毎回よくやるねえ、お母さんにはできないわ〜」

 という感想を言うだけで、「次はもっと頑張りなさいよ」なんて言われたことがない生徒でした。その時に考えていたことは、「良い成績があれば、偏差値の高い高校に行ける。偏差値の高い高校に行けたら、良い大学に行ける。良い大学に行けば、就職は大丈夫。今思う、とてーも甘ーい考え方をしていた。周りからすると、とっても優等生な中学生」と思っていました。それがその当時の岩田さんの意識でした。勉強して、偏差値の高い高校、大学へ行くことが価値あることであるとする考え方。その価値観が高校受験で崩れることになります。

 高校受験での失敗

岩田さんは、高校受験を控えて、受験勉強を一生懸命にやっていました。

「不合格なんてありえない、と受験する全ての高校に合格しようとただひたすら勉強していたように思う。夏休みには近所の通っていた塾にプラスして、地下鉄で十五分ほどの同じ塾の違う校舎に特別講座のために通う日々だった。自分の実力をつけるためだ。今思い出しても、よく頑張っていたなと、あの時の自分を褒めてあげたい」

と振り返るほどに高校受験一本の生活をしていました。実際は、私立の第一志望は不合格で、その次のA女学園とその次の滑り止めはなんとか合格という結果でした。そして、本番の公立は二校とも不合格になり、偏差値が高く憧れていた高校には合格できませんでした。その結果に「泣いて、泣いて、泣いた」と言うほど絶望感を味わっていました。そんな時、母親は、

「あなたが頑張ったならそれでいいじゃない」

「A女学園に行くくらいなら、高校には行きたくない」

母親はまた、

「あなたのおばあちゃんたちの姉妹はみんなA女学園の卒業生なのよ」と言った。

それに付け加えて、

「お母さんはあなたが私立の第一志望に落ちて、A女学園に合格したことは何かの縁だと思っていたの。公立進学校のB高校よりも、もっとあなたにとって良い学校かもしれないと思っていた」 

高校受験のためにあれだけ勉強してきていたのに認められず、結果が出ず、目標を達成できなかったことで、敗北感を持ちながら、A女学園に行かざるを得なくなりました。

不本意入学

 「入学前のA女学園のイメージはいいとこ育ちのお嬢様がたくさんいて、いじめとかもたくさんあるのかな」という印象で入学しました。 入学式後、教室に移動した時の正直な感想は、

「うわー、女子しかいないー。すごい変な感じ。」

しかし、その日のうちに、二人の友だちができて、その二人からA女学園の本当にはじめの一から一〇まで、校舎内のことから先生のこと、A女学園の暗黙のルールみたいなこと、A女学園の中学出身の子たちの情報までありとあらゆることを教えてもらうことができました。

入学式から帰宅。岩田さんの一言は、

「結構、楽しかった」

 その言葉に母親も驚いていましたが、その時のA女学園との出会いは、予想以上に良いものになったようでした。

個を大切にした女子高文化

A女学園の生活がスタートして岩田さんの考え方は大きく変わっていきました。受験勉強にあけくれていた中学の時の生活とは全く違ったことを経験することになりました。

「上手く言葉に表すことが出来ないが、彼女たちはみんなとてもキラキラしていた。みんなそれぞれ違う『自分』を持っていた。自分の好きなこと、興味あること、自分が思うがままに『今』をとても楽しんでいるように見えた。ただ、『今』だけではなくて、未来の自分についてもしっかり考えを持っていたし、物事に関しても自分の意見もしっかり持って、発言する力もあった。中学時代、私があれだけ頑張っていたテストに関しては、『テスト勉強はそこそこに』が、みんなそろっての合い言葉だった。私にとっては全く違う世界に来たようだった」

と文章にも書いているほどの大きな変化を経験し、この女子高校で個性を大切にする生き方を身に付けていきました。

「第一志望に落ちて、A女学園に入学するのも何かの縁かもしれない」

 と母親に言われた時は、腹がたちましたが、「今思い出すと、本当に良い縁だった。亡くなった祖母は女学園が私に良い場所だと分かっていてあの時の私に『A女学園で学べ』と天国から言ってくれていたのではないか」と、A女学園で三年間、個を大切にし、のびのびと生きることを学ぶ経験をすることになりました。岩田さんにとって、この経験が、大学でも活きることになりました。そして、就職先を考える時の基本的態度になっていたように思います。

証券会社だけに絞って

岩田さんは自分の目指す業界がはっきりしている学生でした。なぜ、この業界なのか、ということに対しては、情熱のような強い意志が感じられました。偶然入学した女子高文化の中で、自分の個性を発見してから、自分の個性を活かして働きたいと思っていた気持ちが、証券業界に向かわせたのかもしれません。

それにもう一つの貴重な体験。ニュージーランドでの留学体験がそれに当たります。個を大切にするホストファミリーの生き方に感動して帰国した岩田さんは、卒業論文のテーマを「自然体で生きる生き方」として、自然の中で個を大切にして生きることはどう生きることかを考えていました。考えてみれば、そのテーマもまた、彼女の個を意識した基本的なものの考え方を発展させることになりました。

ただ、自分の証券会社への熱意をことばにするにはどうしたらよいかを悩み、長い間話したこともありましたが、その熱意と思いを自分の表現でエントリーシートとして書いてから、別人のようになり、就職活動に突進していったような印象でした。

「就職活動の経験を文章にして書いてみてください」という教員の私のリクエストに答えて書いてくれた文章を次に載せています。自分を信じ、証券会社一本に絞った彼女の就職活動がよくわかると思います。

就職体験記

二時間から一時間半前には会場近くに到着するくらいの余裕を持っていた。で、とりあえず、スタバを探してお気に入りのホワイトモカの豆乳を注文して軽くエントリーシートを読み直す。

「なんで、この業界なのか。御社なのか」

事前に準備したのはいつもこの二つだけ。で、ただ、ゆーっくりして、読書を一〇分くらい。就活中はいつもかばんの中にお気に入りの本を入れていた。就活に関する、ルールブックとか、気をつけることについてとかではなくて、就職活動とは全く関係ない自分が元気になるお気に入りの本を入れていた。後はいつも考えていた。

「この会社は必ず、私に内定をくれる」

「今日ももちろん、よい面接が出来る」

「私に内定を出すために私はここを受けているんだ」

と思っていた。毎回の面接で「内定が出る」と信じていた。今思うととても不思議な感じもするし、あまりに自信過剰すぎる。面接前はいつもとてもポジティブだった。

「この会社で私は来年から働くんだ」

って、いつも考えていた。イメージしていたと言う方が合っているかもしれない。いつも自信満々だった。自分の受けている会社は自分に合っているところだけだと分かっていたし、なぜか、どこからくるか分からない自信に満ちていた。

「だれがどこを受けていても関係ない」

と思っていたこともある。ただ、

「今日も楽しい面接が出来る、楽しもう」

とだけ考えていた。受けていた業界があまり、変わった質問などをしない傾向だったので、「○○に例えて下さい」とか、そういうたぐいの質問はあまりなかった。基本、「なんでこの業界なのか?」「なんでこの会社なのか?」その二点だけを強く伝えていた。

私が思う面接の大切なところは二点だけ。最低限の軸となる答えを強い気持ちで伝えること。暗記は不要。あとは、人と会話を出来るようにしておくこと。「面接はあくまで、会話のやりとりで、面接管の質問に答えがかみ合っていないと意味がない」。これは日常の会話も同じ。私はアルバイトでジムの会員さんたちと他愛ない会話をいつもしていたので、何にも緊張することなくできていたと思う。それでも、面接前はとても緊張した。面接が始まってしまえば、意外に平常心だった。

「楽しんだもん勝ちだ」

といつも言い聞かせていた。いつも第一志望は自然とぶれなかった。就職活動は本当に働きたいと思う第一志望を見つけることも、大切な内定への一歩のように思う。私が業界を狭く一つに絞った理由は簡単。他に働きたいと思える業界、仕事内容を見つけることが出来なかったから。もちろん、説明会は違う業界も参加したが、その業界ほどに強い気持ちが持てなかった。よく、「就職活動は自分との戦い」と言うが、本当にそうだと思う。人がどの業界を受けていようが、説明会に沢山参加していようが関係ない。私は受ける会社の量、数が多い方がいいとは思わない。面接慣れができるから良いという人もいるが、

「全力で挑む面接なのに全く興味のない会社で力を使うのはもったいない」

と私は個人的に思う。

 エントリーシートの書き方について相談にのっていた時の岩田さんにとってはっきりしていことは、「証券会社に行きたい」という思いだけでした。エントリーシートに何を書いたらよいか悩みながら文章にしていった時に、自分の「熱意」をしっかり伝えれば良いということを言いながら、一緒に考えたことは今思い出しても良い記憶として残っています。

 「私、考えていることいっぱいあるし、熱意もあるのですが、言葉にできないです」と言いながら、私の質問したことに対して、「あ~、わかった。そうなんです。私が考えていたことは、これなんです。先生、聞いてください」と、こちらが質問することに対して、自分なりの答えを返し、感動して話しながら、自分で思いついたことを書きとめていました。「そう、そうなんです。これが私が思っていたことなんです」と。二時間以上もいろいろなことを話して、私が質問し、岩田さんが答えるという形式で、思いついたことを書き留めていきました。

「では、書いたことを読み上げてください」と言って、岩田さんが読みあげ、途中で

「あ、先生、これが本当に私の言いたいことです。これで、絶対受かりますね」と、就職活動体験記にもあったように、ポジティブに答えていました。エントリーシートが通ってから、面接の練習をしたこともあります。エントリーシートに自分の言いたいことをしっかり書いていたので、その文章を使えば良い、ということで、私の質問に答えていました。面接の練習をするほぼ全員に当てはまることですが、岩田さんもまた、エントリーシートで書いた内容をそのまま、「文章として」として答えようとしていました。それを何度か繰り返すなかで、この就職体験記の心得えとして書いているようなことを自分で気づいた後は、面接が面接官との対話であるということを理解し、「先生、わかりました」と言っていました。

「私が思う面接の大切なところは二点だけ。最低限の軸となる答えを強い気持ちで伝えること。暗記は不要。あとは、人と会話を出来るようにしておくこと。「面接はあくまで、会話のやりとりで、面接管の質問に答えがかみ合っていないと意味がない」

「就活マニュアル本」で書かれたこと、自分で書いたエントリーシートを覚え、そのまま話すのではなく、自分の言葉で表現することを身に付け、それを自然体で話せたことが、岩田さんが面接で上手く言った理由だと言えると思います。ただ、それがわかっていても、実行することが難しい学生がいる中で、個を大切にして生きてきた岩田さんは、自然な形で実行できたのは、本人が持つ資質なのかもしれません。そんな資質を十分に活かすサポートしようとしたが、教員としての私の役割でした。また、岩田さんが書いた、家族に関連した話に戻りましょう。家族がいかに岩田さんのサポートをしていたかが、よく理解できる話です。

最後のゴールは就職だからね

 親たちは、岩田さんの勉強には興味も持たず、大学で何を勉強しているのか、聞くこともなかった人たちでした。しかし、母親は人生の分岐点になると同じことを言っていました。高校受験、大学選択時、併設校推薦の内部選考時、休学、留学の決断を許した時、復学する時、ことある毎に岩田さんに言う決まり文句がありました。

「最終のゴールは就職だからね」

大学に関しては何も言わなかった母親は一年間の留学から帰国後の三日目にも、

「どんな会社で働きたいの?」と。

海外から帰ってきて三日目、日本食は満喫したいし、お風呂につかってのんびりもしたいと思っていた岩田さんにこのような言葉を言う母親に現実の世界へ引き戻されて、嫌な気分になったようですが、母親が就職のことを心配してくれていることは実感したと言っています。岩田さんの大学在学中に妹は専門学校を卒業後就職活動はせず、ダンスを続ける為にフリーターになりました。今はアルバイトを掛け持ちしながら、ダンスのレッスンに通い、たまにダンスの仕事もしているらしい。そしてこれまた両親は彼女のこの生活を容認しました。彼女のキャラクター的には彼女がこうして生活していくのもありだと判断したという。子どもの個性を尊重していた両親でしたので、だったら、自分自身の就職活動に関しても干渉してほしくない、と思った岩田さんは、三年生の一月、これから就職活動が本格的になっていくだろうという時期に、母親に言いました。

「私は私のやりたいように就職活動をする。どの会社を受けるか、どの会社の選考を進むか、全て私が決めるから、何も聞かないでほしい。決まったら教えるから」

父親にも就職活動に関しても特に言われたことはありませんでしたが、気にして、母親に岩田さんの様子を尋ねていたらしい。その後、どうしても現状が知りたいという母親に岩田さんが伝えたのは、「証券業界で働きたいと思っている」ということだけでした。あとは、「今日は大阪、来週は東京」など、遠出するたびに質問はされたが、以前みたいな質問攻めはなくなっていました。そして、「明日、最終面接行ってくる」「内定もらえたよ!」だけを伝えていました。第一志望の内定前にもらえていた二つの内定についても両親には黙っていました。最終的に内定を受け取ったところは両親も知っている大企業と言われている会社だったこともあり、親たちは本当に喜んでいたようだった。

その時の岩田さんの心情。「大企業だから良いというわけでは決して思わないが、喜ばせることができたことは良かったと思っている。私がどうしてこの会社を第一志望にしていたとか、なぜこの業界にこだわっていたとかなど、両親は知らない。でも、それらはおいおい私が来春から働くことで伝わればいいな」と思う。内定をもらえたと伝えた時、母はやっぱりこう言った。

「今までどれだけ失敗していても、いいゴールができれば最終的にはそれが一番だね、よかったね」と。

 岩田さんの場合、就職活動をせず、好きなことするためにフリーターになった妹の分のプレッシャーも親からとても感じていました。

「お姉ちゃんはちゃんとしたところに就職してね」

という言葉は、長女として常に強く意識していたものでした。岩田家の長女として家を継ぐことも彼女にとっては重要なこととして、今後考えていかなければならないと本人は自覚しています。

まとめ

岩田さんの就職活動から皆さんが何か感じるところがありましたか。一人の学生が就職活動をしている時には、それまでのすべての人生経験の結果がでる、というのが私の率直な感想でした。

ゼミでも自分の言いたいことははっきり言う学生として、一歳年下のゼミ生には、「少し恐れられた存在」だったかもしれません。

「できる子」の岩田さんが、高校受験で失敗し、不本意入学をした女子高校。しかし、そこで個を楽しむ生活を過ごすことになりました。親たちは岩田さんを見守るだけで、干渉しなかったようです。そのような環境で、自分の個性を信じて突っ走る就職活動の成功例だと言えるのかもしれません。

その自信が時々揺らいだりする瞬間はたぶん何度もあったと思いますが、いつもポジティブに前向きを綱抜くことが、岩田さんの就職活動であり、人生の大きな転機になったのではないだろうか。

最後に、岩田さんのストーリーから何か感じてもらえたでしょうか。

1. 自分の適性、自分の希望を明確に持っていることが就職活動では一番重要なことではないかと思います。ただ、それをどのように持つかが多くの人の悩みかもしれません。

2.  次に、エントリーシートや面接は、自分の思っていることを自分の表現で言うことが大切。エントリーシートを書くことなど、大学の授業で直接学ぶことではないのですが、自分の言いたいことを簡潔に書いて表現することは日頃の訓練できることだと思います。努力してみてください。また、面接も訓練で相当上達できるということも彼女との練習でも言えることでした。もともと、自分の言いたいことがはっきりしている人でも、面接となると緊張することは自然です。練習することで、緊張することに対する免疫あるいは慣れが必ずできると思います。

3.  自分に自信を持ってポジティブに行動するということも彼女の就職活動の基本だったと思います。ただ、「自信を持て」と言われても、自信を持つことは難しいことです。しかし、自分に対して、「私は自信がある」「これで内定決まる」「内定をもらうために来ている」と自分に暗示をかけ、面接に臨むことで、本人が心からその気になれることもあるかもしれません。馬鹿げたことかもしれませんが、「私は自信がある」と大きな声で、自分に言うことも効果があるかもしれません。その気持ちが「熱意」として、面接官に伝わる可能性があると思います。

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運営:椙山女学園大学国際コミュニケーション学部「ライフストーリー文庫~きのうの私~」編集室