語られたストーリー
2012.02.29 いくつになっても未熟者 語り手 (男性 47歳 2010年取材)

 【あらまし】

 人間関係に恵まれた子ども時代。ところが、都会っぽい学区への引っ越しで、生活は一変する。多くの「落とし穴」がまつ青春時代を、持ち前の運動神経と誠実さで突っ走る。そんな時の流れが、語り手のビジョンをはぐくみ、「未熟者」という言葉の、真の意味を、読み手に運んでくる。
 
●小見出し  
 お調子者
 町内は皆友達
 硬派気取り
 月収四十五万円
 他社便キャンペーン
 仕事は自分で作らないと
 
お調子者
 生まれたのは名古屋ですね。幼稚園の時は、運動神経が良いという自信を持ってたんで…。特に、かけっこは必ず一番をとる、という風。スタートからすんごい早く走って、一番でコーナーに入ったんだけど、曲がりきれずに、観客の所にそのまま入ってって。それから戻ったから、ドベになっちゃった。
 町内の小学生のお兄ちゃん達が、わざわざ応援に来てくれて、手を口の近くにして、「頑張れー」って。それに応えようと思って、ちょっと頑張り過ぎちゃった、みたいな。
 絵も上手だったから結構、自信あった。アポロの月に着陸する、その宇宙船の絵を描いたら、皆が感動して、描き方を教えてくれって。幼稚園生全員に描き方を教えた。
 小学校の時は…まあ、男子全員が目立ちたがり屋みたいなとこがあったから、元気はよかったね。学級写真を撮る時に、こう、段々なってるじゃんね、あっこから皆で落っこった。ふざけてて。
 一年生の時、女の先生だったからすごい怖かった。二年生の時も女の先生で…。すっごい怖い先生だった。検便忘れてきた子がいて、先生がすごい怒って。「そんなんなら、今すぐやるぞ!」って言ったら、皆の前でズボン下ろして、「お願いします」って言って。それを先生がすごい笑って、皆も笑って、「今からやるのかよ!」みたいな。小学校一年生だから、脱ぐことに恥ずかしさがないでしょ? 
 田舎の小学校だったから、皆元気良くて、例えば、「学級委員になりたい人」って先生が募ると、男子は全員手を挙げる。「なりたい人」って言ったら、皆手を挙げて。それから自己紹介をして、選挙が始まって、男子は全員自分で立候補するから。ようするに、女の子に人気のある子が学級委員になるっていう風な、手順がハッキリしてて。だから、どこまで自分が人気があるのかっていうところにこだわってたわけ。
 四年生の時に引越してー。引っ越した次の日か、三日後だったか…その学級委員の選挙があって。「なりたい人いますか?」って言われた時に、てっきり皆が挙げると思って…すごく元気よく、「はいっ!」って言ったら、俺しかいなかった。で、俺がなっちゃったっていう。頭はよくなかったけど、スポーツはできた方だと思うから、まあ後は楽しさでカバーした、みたいな感じで四年の時にはなったね。
【運動神経がよかったっていうことは】
 野球部入ってたね。
 
町内は皆友達
 その時のステータスって野球だったから、常に町内で集まったら、野球っぽいものが始まるの。それは、「三角ベース」っていって、二塁がなくて、一塁から今度三塁まで行くから三角の形になるの。柔らかいテニスボールで、パーだと力が加わらないんで飛ばないから、皆グーで打つの。誰かが、「これだと飛ぶんだよー」っていうと、発明した人は快く教えるっていうのが、その田舎のよさなの。出し惜しみをしたり、隠したりしない。聞きにくいっていうのもない。必ず、その六年生から幼稚園の子まで、町内の子は皆いつも一緒に遊んだの。
 全員。大体公園にいるから、なんとなしに皆集まってきて、じゃあ、泥ケイやる? とかっていう風になって。町内とか本当せまいんだけど、そこの住んでる子達は皆友達みたいな。だから、代わる代わるその友達の家に集まったりとか。勝手に、人の家に入ったりとか。どこのおじさんおばさんも、「ああ、また来たの?」みたいな。そういうことをするから人の家でもいたずらは、へっちゃらでやったし。
 鬼ごっこやる時は、「鉄ゴマ」っていうのが昔あって、その鉄ゴマをまわして、手に乗ってる間は歩いていいわけ。コマが止まったり、手から落ちたりしたら、そこから止まらなきゃいけないの。鬼も乗ってる間は追いかけられるんだけど、落ちたら止まらなきゃいけない。これ自己申告なんだけど。たまたま出くわすと慌てるから、なかなか手に乗らないで、焦ってやってるところを、冷静に見てるのがすごい面白い。
 缶蹴りとかも、隠れるとこ、お宮さんがあって、そこが一応基準でやるんだけど。まあ逃げる時は町内。でも結局、その缶を蹴りにいかなきゃいけない。そこんとこ戻ってくるからね。まあ、終わっちゃうね。鬼も諦めて帰っちゃうとか。おかしいなと思って戻ってくと誰もいないとか、それは普通にある。ほんじゃ俺も帰ろう、みたいな。始まりと終わりっていうのがすごい、いい加減だから。遊びの始まりも、会ったらもう連れてる。連れて遊んでる、みたいな。会わなかったら家帰っちゃう。
【引越し先では】
 野球部の子達が近所の子だから、野球部のメンバーとしか遊ばない。授業が終わってから。給食のパンの耳の部分を、生徒の数より、一枚か二枚余るようにパンがくるから。余った分とか、食べない女の子がいるから、そういうのもらって。ハンカチに包んどいて。練習が終わってから、しゃべりながら食べながら帰る。そういうのが流行ってたね。
【野球は、何歳ぐらいまでやってたの?】
 野球は、結局社会人までやったね。本格的にやってたのは、二十二ぐらいまでかな。そっから、おっさん野球を三十ぐらいまで。結婚してからも、野球はやってたから。日曜日に早朝野球だから、朝、六時半か七時くらいから試合だから。九時くらいには終わっちゃうんじゃないかな。朝のモーンニング珈琲飲んで帰ってこれるくらいだから。
【高校の時は】
 本格的な野球だから、とてもついていけない。だから球拾いで終わっちゃったみたいな。厳しいなんてもんじゃないね。先生のあだ名「オニ」っていうから。そのぐらい怖い先生だったね。全国でも有名だったから。甲子園でも勝ってたし。だからもう、ただ球を拾って終わっちゃったかなーみたいな。まあ、お手伝いみたいな感じになっちゃうよね。
 ただ、野球が好きだからいただけで、何となく。それでちゃんとした学校に行きたくて。自動車の学校に行こうと思ったけど、頭悪かったから全然駄目だったんで。それで毛利宅配(仮称)に。その時、野球部あるって言われて、拾われて。たまたまちょっと活躍をしたのと、ピッチャーが不足してたっていう面で、メンバー的に入れたみたいなものがあって。それは運が良かったんだけど。
 そっから強かったから、本格的な野球に段々変わってって。その道中にいられたんで、ずっと一軍にはいたけどね。でも、控えの投手だから、あんまり投げた機会がないけどね。あれは運が良かったかな。二年間ぐらい。試合に出ると、一試合二万円もらえた。賞金っていうか給料。会社が休日出勤手当てになって、野球の試合も会社の名前で出てるから、出勤扱いにしてくれてて。
 
硬派気取り
 中学校の時一〇クラスあったから、一学年。だから、全部で四二二人いたんだよね。それが三学年いるから、千二百人ぐらいいる。運動場大きくない。だから野球部がない。でも、中学とか高校って結構硬派を気取ってたから、あまりぺらぺらしゃべる方じゃなかったし。どこでこんな風に変わったのか、わかんないけど。
 小学校も、あんまりしゃべることなかったね。あんまり絡まないね、人とは。意外とね。だから、率先してしゃべりに行くことはないから。しゃべってこられれば、しゃべるけど。放課中は遊ぶか、黙ってるか。特に、西区に住んでた時は、そうやって町内で遊ぶから、結構しゃべるっていうよりも、遊ぶっていうことで、色んなことやったけど。名東区っていうとこに引っ越すと、なんか肌に合わないっていうか。別にしゃべることないし、っていう感じかな。野球部の連中としゃべったくらい。
【高校卒業してからは】
 結局、受験に失敗したから、選択肢がなくなって、やりたいことも。元々車が好きだから、車をいじる関係の仕事に就きたいなーと思ってたんだけど。当時は整備工っていうのは、落ちこぼれの流れみたいなのがあって。ある程度落ちこぼれてる子は、油にまみれて仕事する、まあそれならできるだろうみたいな感じに、皆流れてった。バイクをいじる人も、車をいじるのも。大体頭が悪いやつか、半端者の流れ先みたいな。
 だけど、頭が悪いなりには、あまりつるんで落ちこぼれる程、皆と一緒にやるっていうのも好きじゃなかったから。不良とかいっぱいいたけど、流されることはなかったね。悪さの代名詞で煙草を吸ったりとか、シンナーを吸ったりとか、そういう子たちも、ほんじゃやれよとかってやる子もいっぱいいたけど、ほとんどが流されたけど。俺は、そういうことを別にしたいと思ったことがないから、強制されても嫌だって断ったし。
 そうすると、喧嘩とか始まるけど、別に何でお前に言われてやらなきゃいけないのって。やりたい時は自分でやりたいと思って、言う。そんな変なところがあったね。自分がしたい! って思ったことをすればいいじゃない。したいと思わないのに、やれって言われてやるっていうのが、すごく気に入らなかった。
 煙草を皆吸ってたけど、友達も。吸えよって言われても、いや別に吸いたいと思ってないのに、吸う必要ないでしょっていうのが、段々こう皆にも浸透してったから。まあ、あいつに言っても無理じゃない? みたいな。そういう風にはなってたと思うよ。
 
月収四十五万円
【自動車の会社は】
 そうそう、当時ちょうど、ガソリンスタンドかなんかで、卒業間際にちょっとバイトしとこうと思って。友達と一緒にバイトしに行ったガソリンスタンドの会社が野球チームを作ってて。たまたま、野球やってたっていうことを言ったら、じゃあ今度の試合ちょっと出てみる、って誘われて。出たら、めちゃくちゃ活躍したから、もう会社の常務さんに、すごく気に入ってもらえて。是非うちの会社に来ないかって言われて。「いや、僕、車好きなんで」って言ったら、車もいじれるしって言われて。
 どうなのかなーって考えてる時に、その毛利宅配を知ったから、まあそれはやめて、毛利宅配に入った。給料が良かったから。当時、高校卒業して、そのガソリンスタンドに一か月勤めると、総額で大体十二万、三万ぐらい。毛利宅配は、四十五万だった。だから、同じ一日働く時間なのに、片や十二万で、片や四十五万円だったら、四十五万円の方が良いんじゃないのって思って。その毛利宅配のことをあんまりよく知らないまま、ただお金だけで入ったかな。まあ、後悔したけどね。えらかったし…。
 五月ぐらいには就職してたから、毛利宅配に。毛利宅配っていうのは、名古屋から東京とか遠いとこまで行くわけじゃなくて、小さなトラックで、一軒一軒配達していくっていう仕事。それをやったんだよね。大変だったね。朝六時から仕事が始まって、夜の十二時くらいまで。毎日仕事だったから。そんだけ、働けば確かに四十五万。一日大体、四時間…よく寝れて、五時間くらい。ほとんどもう風呂も入らず。休みは月に二回。
【月に二回!?】
 うん。休みの日は、代わりばんこに出なきゃいけないんで、半分が休みで半分が出社。ただ、夜のお手伝いがないもんだから。四時とか六時くらいには上がれたね。俺たちは、その時はすげー早いと思ってたんだよね。だから、日曜日は一応出ても早く休めるから、楽は楽だったけどね。二年…三年弱ぐらいいたかな。そうだね、十九、二十、二十一ぐらいかな。
 どこからどこまでが君だよっていう、一台に対して、どこの区域かっていうのは、もう決まってて。そこに入って、荷物を一軒一軒配って、今度は、そこから全国に行くのも、一軒一軒集めてた。一日大体、一三〇個から一五〇個ぐらい、集めてくるのがノルマだった。多い車だと、二五〇個ぐらい集めてくるのかな。
【その町内は変わらず、ずっとそこ】
 全部そう。だから自分の顧客だね。その町内で大体いつも荷物を出してくれるっていうのは、定期で毎日回って、今日荷物ありますかって聞いて。大体出るから、集荷して。それが売り上げ。自分の成績みたいなの。それをいかにたくさん集めてくるかで、その順位が決まる。
 
他社便キャンペーン
【順位が決まるとなにかあるの】
 あるある。色んな特典が。休みをもらえたり、ボーナスが出たり。そういうのがあったね。キャンペーンとかあるから、毛利宅配以外の運送会社が世の中にはあるんだけど、そこがもらうはずだった荷物を、もらってくると、その件数で一位二位が決まる。一か月間。それでベスト4ぐらいに入ったか…その時が一番ピークだったかな。成績が良かったのは。「他社便キャンペーン」っていうのは、年に何回か。それで皆が競い合って、大体何人ぐらいいたんだろ…ドライバーが。一五〇人ぐらいいたかな。一五〇人中四位。その時は何かもらったよ。賞。もう忘れちゃったけど(すごい!)。
【その時は一人暮らし】
 しばらく寮にいて、途中から一人暮らし。あまりえらいし、睡眠時間ないんで、もう会社の寮にそのまま、こてっていう。ビルの中に、四階は全部、山小屋のように、二段ベットがいっぱい並んでて。ベットが自分の部屋。ベットの中なら何を置いてもいいんだけど、それ以外は置くとこない。ご飯は食堂。洗濯は洗濯のおばちゃんが勝手にやってくれる。お風呂に脱いだやつを置いて名前だけ書いとけば、洗って畳んで置いといてくれる。それもらって、みたいな。
【お風呂も大浴場】
 大浴場。社内にある。じゃないと、一番遅いのが朝の四時に終わるっていうのがあるから。大体お正月とか大きなお休みの前は、荷物も急に増えるわけ。早めに送らなきゃいけないから。ぎりぎり休み前になってくると、ごった返しになっちゃって。それを片付けるのに残業が、全然終わらなくて。いつも二時とか三時。
【そんなに遅くに終わっても出勤は変わらない】
 そうそう。六時から。絶対に変わらない(えー!)。
【二時間睡眠で、また運転】
 だから、あんまり疲れてた時は、会社に帰る時、どこを帰ってきたか覚えがない。半分寝てるもん、運転しながら。そんなの普通にあったね。しばらく名東店にいたけど、野球部だったから、本社に戻って来い言われて、また港区に戻った。中部地区は港が本店で、給料が十万円違う。末店(支店)は十万円安いの。だから、本部にいるのは限られた人間しかいられない。たまたま野球部で、会社から恩恵をもらったから。特別扱いされてたんで、そういう面では得したね。
【休日とかも寮にいる】
 ずっと。二十四時間いるよ。二十四時間って、別に寝る時だけど。別にいたければいる。ベットはものすごいたくさんあるから。空いてるんで、別に今日からここは俺、って言ったらもう別にそこでいい。お金はかからない。会社にまた帰ってきて、寝て、朝仕事するって。居酒屋さんも会社の中にあったし。
【居酒屋さんが】
 会社の中にあるの。お金の数字が書いたチケットみたいなものがあって、その食券を会社から買うと、給料から自動的にひかれるんだけど。食堂もその居酒屋さんも、それで払えるの。「一つづり下さい」っていうと二万円分もらえるの。で、それを切って使ってた。もらった全部自分の判子押すの。失くしても人が使えないように。人間が多いから、ずるい人もいて。当時は現金だったから、給料が。寮だとしまうとこがないし。肌身離さず持ってないと。お風呂場でぱーっと脱いで、給料置きっぱなしにした人、「盗まれたー」とか言って、わーわー騒いでた。
【お風呂入ってる間は】
 どっかに隠しておくか。もうその日はお風呂入らない。そのぐらい肌身離さず、自分ことは自分で守らないと。持ってかれてしまう。銀行なんてないし、今のようにATMとかやってないから。土曜日とかやってないし。コンビニなんてその時ないから。世の中に。コンビニっていう言葉もない。携帯電話もないし。
【トラック運転してる時、会社と連絡取れない】
 公衆電話と無線。無線で連絡は取り合えるけど、限られた時間だもん。やたらめったら使うと、皆が探せないから。無線で出てる人は、全車に対して受ける人一人だもん。同じところに皆通じてるから。電話番号がないからね、無線は。とる人は一人。一人に対して全員だから。二百台ぐらいを一人で順番にやってかなきゃいけないから。一人一分しゃべると、二百分かかっちゃう。
 ほとんどは、向こうから呼び出される。番号で呼び出されるから。運転してる時に呼び出されたら、「あー、何番何番」って。俺の場合は一七○号車、九十七号車。それから一七五号車にも乗ったなー。番号が付いてて、その番号がどこどこの地域って決まってる。「一七○、一七○、どうぞ」っていう風に言うと、あ、自分のこと言ってるなって思ったら、「はい、一七○」って。「どこどこのお客さんから荷物を取りに来てくれってことです」って言われると、「了解」って。大体その町のことは全部覚えてるから。あそこの会社だって走って取りに来ましたよーって、言うの。
【それを三年間続けた】
 そうそう。辞めた後は…。半年だけ夜のバイトしたことがある、飲み屋さんで。話すことが上手になるだろうって。そういうの苦手だったから。こんなに本当に喋らなかったから、前は。すごいしゃべるのが苦手だったの。半年だけ決めて、夜の仕事のバイトに少し行ったことがある。あれはいい勉強になったね。何かは得たね。うん、まあ話せるようになったきっかけにはなったと思うね。その後はお祖父ちゃんの会社に入ったね。
 「継げ…」っていうのはないね。その当時のお祖父ちゃんの会社って、そんな大した事なかったし。お祖父ちゃんと、もう一人の番頭さんみたいな人が一人いて…。あとは女の子が一人。三人でやってた。今は十人ぐらい。そんなにちっちゃな会社だからさ。「今日は休憩!」っていったら閉めちゃえばいいよねっていうような、いい加減なもんだったからね。
 その後やることがなかったから、同じやるなら何でもいいかーみたいな感じで。目的もなかったし。入るわーっていい加減なこと言って入った。
【仕事大変だった】
 仕事が大変よりも、お祖父ちゃんが大変。うるさいからさ。「こうじゃあー」とかって。小さな会社だから時間がないから。なんか夕方から来て、夜中までとか。しゃべってる相手いつも同じとか、今日はやることがないとか。そういういい加減だったね。最初にもらった給料は、十五万円くらいだった。それが一般的な数字だったからね、当時は。
【その時も一人暮らし】
 そん時も一人暮らしだね。その後すぐ結婚したから。結婚した時は、もうお祖父ちゃんの会社にいたから。生活できないから、新婚当時、お母さんもバイトで働いてたね。共働きじゃないと暮らしていけないから。いいとこ住んでたから、家賃高かった。広くてね。なんかかっこよさそうなマンション。住まいは結構こだわったというか、かっこつけてたから。高いものを買えたね。そんなにお金は楽ではなかったけど。めちゃめちゃ貧乏で苦しかったっていうのはなかったかな。何となく一か月は足りたかなって。
 
仕事は自分で作らないと
 今は忙しいね。休み取れないね。休んじゃえばいいんだけどね。なんか休んだら、仕事がなくなるような気がする。あるうちにやっとかなきゃ、って思ってるうちに、どんどんどんやっちゃうみたいな。仕事は、生まれてこないもんね。自分で作らないと。
 苦労はあまり感じたことないね。仕事があるのは楽しいし。何よりやりがいがある。こう、トライしてみたいことばかりだから。やれないこととか、やったことないことをやろうとするのはすごく、こう意欲がわくね。
【今は仕事を継いでよかった】
 うん、まあ、そうだね。そこまでまだ行ってないかな。そういう域まで。そんな余裕がない。まだまだ、言葉なりに未熟って言い方をすれば、ちょっとかっこつけすぎだけど。まだ何か、もうちょっと上のレベルに行かないと、そういう域にはならないんじゃないかっていう風に、自分では、自分をいじめてるみたいなとこは、ある。二十七年やってるのかな。
【でも、まだ未熟】
 未熟というよりも、まだ未熟だって言えるとこまで来てない。もっと自分がやれるんじゃないかっていう。今やってることなんか、大した事ないじゃんっていう。最近ビジョンっていうものが、こう形になってきてるような気はするけど。ついこの間は、ビジョンというよりも日々が必死みたいな。
 そういう仕事では、できる量が限られてしまって、先にもっとたくさんしたいなって思っても、ビジョンや目標を明確にしないと、その先はできないんだなー。っていうようなことには気がついた。っていう言い方をしたらいいのかな…ちょっと日本語が難しいけど。
 この年になってみてやっと、あ、そういうものが大事なんだな。だからもっと、そういうこともきちっとしなきゃ、って。新しい自分みたいなものに、到達してる、やっと世間一般の人と肩を並べられるようになった気がする。
 自分ではしゃべり方を、もう少しこう、感性っぽくしゃべりたいんだけど、伝わらないよね。仕事仲間の人にもそうだけど、伝わらない。伝わってないっていうのも、すごい実感するようになった。
【大変だね】
 「大変」っていう言葉よく使うけど、心底、大変だと思ったことはない。っていうか、そんなの当たり前でしょっていう。それよりも次のことをやんないと進まないでしょ、っていう感じ。まだまだしゃべりたいことありますが…。

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運営:椙山女学園大学国際コミュニケーション学部「ライフストーリー文庫~きのうの私~」編集室