Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

最新の正弌記念室

【正弌記念室トピックス 5】<今子制作小物入れ>

 

今子は端切れ布で財布や小銭入れ、櫛ケースにいたるまでさまざまなタイプの小物入れを作成しました。正弌記念室には今でも充分使えるほどの完成度の高い色とりどりの小物入れが約50点展示されており、同じケースの中には、小物入れに対応した手作りの型紙も並んでいます。また、展示兼保管ケースとして実際に正弌・今子が使用していた桐箪笥の中には当時の端切れ布や糸、留め具など小物入れを作成するために必要な裁縫道具などが納められており、今ではどれも大変貴重な資料となっています。
また、歴史展示室には制作過程の小物入れなどの展示もあり、これらの資料から今子が生徒に教授する当時の姿が偲ばれます。

      

 

 

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【正弌記念室トピックス 4】<大正時代の校舎の遺構>

 

【正弌記念室トピックス4】<大正時代の校舎の遺構>
 
これは大正13年に建設された椙山第二高等女学校の校舎の2階に昇る階段の親柱です。親柱とは高欄や階段などの両端や曲がり角に立つ太い柱のことです。
この校舎は現在の山添キャンパスの地に建設された二階建ての建築面積630坪のモダンな建築で、モルタル仕上げの壁面、幾何学模様の窓、ロータリー式回り道のある玄関、またバルコニーや屋内プール、文化住宅式の寮などを備え、大正10年の椙山正弌によるアメリカ視察によって得たアメリカの学校建築の知見をふんだんに取り入れたものとなりました。その様子から「白亜の殿堂」と呼ばれ人々の話題を集めました。当時は学校の東西南の三方は田畑のみであり、覚王山からは西の大通りはなく、東へ向かう学校へは細道が1本あるだけで人家は一軒もなかったとの記録が残っています。
椙山第二高等女学校の校舎の様子を伺い知る貴重な資料として、現在、この手すりは正弌記念室のらせん階段入口に設置してあります。
 
 

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【正弌記念室トピックス 3】<『岐阜県小学校学事法令』>

【正弌記念室トピックス 3】<『岐阜県小学校学事法令』> 

 

「岐阜県小学校学事法令」とは明治35年に発行された正弌氏の最初の著書です。
正弌氏は明治28(1895)年に岐阜県師範学校乙種講習科を卒業し、2年後の明治30(1897)年、18歳の時に小学校教員検定試験に合格しました。その後、岐阜県内などの小学校において教鞭を取っていました。しかし、健康上の理由で退職し、岐阜県教育会主席書記として活躍していた最中に著したものです。
内容は岐阜県の小学校の法令をまとめたもので、「総規」・「職員名簿及待遇」・「教員加俸及恩給」・「学校衛生」・「教育費」・「岐阜県令達」の6編から構成され、前文には「勅語」や「教育に関する勅語謄本頒布ニ付文部大臣訓示」なども掲載されています。
 残念ながら現物は国立国会図書館にのみ収蔵されており、現在、近代デジタルライブラリーにて公開されています。

 

 

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【正弌記念室トピックス 2】 <2度の藍綬褒章と瑞宝章>

 【正弌記念室トピックス 2】 <2度の藍綬褒章と瑞宝章> 

 

褒章とは、明治14年(1881)制定された褒章条例によって公衆社会の利益、福祉や公共、文化の事業で事績著明な人物に天皇陛下から授与される日本の栄典のひとつで、貢献した分野によって紅綬、緑綬、黄綬、紫綬、藍綬、紺綬の6種類の褒章に分けられ、そのうち正弌氏が授与された藍綬褒章(らんじゅほうしょう)とは「教育、医療、社会福祉、産業振興等の分野で公衆の利益を興した者又は保護司、民生・児童委員、調停委員等の公同の事務に尽力した方者」(内閣府「勲章・褒章制度の概要」より)を讃えるものです。
 正弌氏は昭和15年(1940)と30年(1955)の2回にわたり受章し、これは全国でも異例な出来事であり、大変な栄誉に浴されました。歴史文化館入り口にある正弌氏の胸像は二度目の受賞の記念として建立されました。 

  

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   また、昭和39年(1964)の正弌氏逝去の折には叙位叙勲「従五位勲三等瑞宝章」が授与され、学園葬において霊前に供えられました。その賞状は正弌記念室に並べられています。

  

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【正弌記念室トピックス 1】 <レシピ帳>

 

【正弌記念室トピックス】 レシピ帳
 
 
正弌記念室の陳列棚の中には創設者・正弌氏、今子氏が実際に使っていた眼鏡や財布、櫛、裁縫用コテといったものから戦時中に発行された国庫債券に至るまで日常生活で使われていたものがそのままの形で展示してあります。それらの中に今子氏の料理のレシピ帳があります。レシピ帳と一言でいっても、「50円で家族3人のお献立」「今週のおこんだて」といった新聞の切り抜きや「うどんのホワイトソース煮」などの手書きレシピなど様々です。
第2次世界大戦後は、政府の食糧政策により、洋食が家庭料理として広く浸透しました。このような時代背景を反映してか今子氏のレシピ帳も肉シチュー(ビーフシチュー)やグラタン、ハムライスといった洋食のメニューが多く、正弌氏、今子氏が和やかに食卓を囲む家族だんらんの様子が目に浮かびます。

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