Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

2011年6月アーカイブ

椙山歴史検定をはじめます

 

平成23年5月から椙山女学園の歴史をテーマにした「椙山歴史検定」をはじめます。

質問用紙を片手に歴史文化館をゆっくりと鑑賞しながら、椙山女学園の歴史をより身近に感じてみませんか?

検定には初級・中級・上級とあり、賞品もいくつかご用意しています。

 

ご希望の方はご来館の際、受付までお申し出下さい。

ご参加をお待ちしています。

 

 

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以上は「歴史文化館ニュース第5号」に掲載されたものです。

【歴史の窓 3】 椙山女学園と前畑秀子

 

「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!・・・」
 前畑秀子氏が1936年(昭和11年)に開催されたベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した時、実況中継でのNHKアナウンサーの声援です。
前畑秀子氏は1914年(大正3年)に現在の和歌山県橋本市に生まれ、近所の紀ノ川で水泳に親しみ、高等小学校2年生の時に汎太平洋女子オリンピック(1929年(昭和4年))の女子100m平泳ぎで優勝、同じく200mでは準優勝という成績を上げました。この活躍ぶりを聞いた椙山女学園創設者椙山正弌(以降「椙山正弌」)氏は、当時の椙山女学校への編入学を前畑秀子氏にすすめました。これをきっかけに椙山女学校に編入し、水泳を続けることになりました。
1928年(昭和3年)、現在の山添キャンパスの地に第二高等女学校の室内プールが完成しています。椙山正弌氏はこれに遡る1922年(大正10年)にアメリカへ教育視察に行ったことから、アメリカ
の進んだ社会情勢や教育を学び、帰国後は立て続けに校舎の整備と教育内容の充実に力を注いでいきます。
広大な山添キャンパスを取得し、アメリカのカレッジを思わせるような校舎を建設し、教育の一環としてスポーツ活動を積極的に奨励していきます。室内プールの完成もその一つであり、前畑秀子氏の編入学もこうした流れの中にあったといえます。
その後の前畑秀子氏は1932年(昭和7年)に開催されたロサンゼルスオリンピックの女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得した後、椙山女子専門学校に進学し、冒頭に述べたベルリンオリンピックへの出場となりました。
1937年(昭和12年)に結婚し、兵藤姓となりますが、早くに夫に先立たれた後、椙山女学園の職員として勤務するかたわら、水泳では後進の育成につとめ、1995年(平成7年)に80歳で逝去しました。
 椙山歴史文化館には前畑秀子氏に関する数多くの資料が残されており、歴史展示室に展示されています。
 
 
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以上は「歴史文化館ニュース第5号」に掲載されたものです

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