Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

来館者が語る椙山での戦争の時代

 

 本館の歴史展示室には「戦争・学徒動員」の展示ケースがあります。そこには当時実際に使われていた「学徒戦時奉公隊腕章」や学園が戦後、県に提出した「学徒動因に伴う死亡報告」や爆死した学徒動員の級友と恩師に捧げる「追憶の書」など多くの資料があります。

 過日昭和2年生まれの卒業生(椙山女子商業学校)久野静子さんがご家族とともに来館され、展示物を見ながらご自身の体験を語ってくださいました。以下に概略を紹介します。

「・・・戦争のため修学旅行は取りやめになり卒業も3ヶ月の繰り上げ卒業だった。在学中は“椙山隊”という名前で三菱重工航空機の工場で3年ほど働いた。飛行機を作っていた工場であったため米軍のB29から集中的に攻撃を受け、その際には三菱の防空壕に逃げていた。あまりの激しい空襲のため近くの大江橋を渡って道徳にあった倉庫に逃げたこともあった。空襲が収まると疎開先の横須賀(東海市)まで歩いて帰った。また飛行場で女子挺身隊として怪我をした兵隊の受付や、病院へ運ばれる死体や重病の人々の名前や住所を衣服の名札で確認し書き取る手伝いもした。昭和20年の8月15日急に全員が集められ「12時のラジオ放送」を聞いた。その場には兵隊も整備兵も女子挺身隊もいた。敗戦そして終戦を知らされると皆泣き、中には切腹すると言い出した人もいた。皆アメリカ人がやって来て殺されるのだと思っていた。終戦から暫く経ち、満州に行っていた兄が帰ってきた・・・・・」
 いろいろな歴史資料を興味深くご覧になり思い出は尽きないというご様子でした。スタッフ一同、改めて戦争について考える機会となりました。

 

raikansya.JPG

 

 以上は「歴史文化館ニュース第4号」に掲載されたものです。

 

ページTOPへ