Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

2010年6月アーカイブ

歴史文化館ニュース 第2号を転載します

歴史文化館ニュース 第2号を2009年12月7日に発刊しました。

 

主な項目は、以下の通りです。

 ・大学開学60周年記念写真展のご案内

 ・歴史文化館動向

 ・企画展の募集

 

以下の文字をクリックすると、PDFファイルとしてご覧いただけます。

歴史文化館ニュース2. 

歴史文化館ニュース 創刊号を転載します

 

歴史文化館ニュース創刊号を2009年10月20日に発刊しました。

 

主な項目は、以下の通りです。

 ・創刊号発行にあたって(歴史文化館運営委員長 椙山美恵子)

 ・歴史文化館を訪ねて(同窓生で旧教員の加藤元子氏)

 ・文化展示室トピックスおよび歴史展示室トピックスなど

 

以下の文字をクリックすると、PDFファイルとしてご覧いただけます。

歴史文化館ニュース創刊号.

 

【歴史の窓から 1】 <森川如春庵と椙山女学園>

 

 

以下は、紙媒体の「歴史文化館ニュース 創刊号」に掲載されたものですが、転載致します

 

【文化展示室トピックス 1】 森川(じょしゅんあん)と椙山女学園
                         
 
 歴史文化館開館記念企画展「椙山正弌・今子 趣味の世界」に於いて、「男爵益田翁孝貞三輪女頌徳之詠草」と題した掛け軸が展示されている。
 この掛け軸の箱書きには森川如春庵の名前が記されており、展示品として事前に調査を行ったところ、大変貴重な掛け軸であることが判明した。
 森川勘一郎(1887~1980、以降「如春庵」)は尾張一宮の大地主森川家の当主であり、近代を代表する茶人の鈍翁益田孝(どんのうますだたかし/1847~1938)や山渓富太郎(1868~1938)など、時の日本を代表する財界人であり文化人でもあった人々と交流を結び、近代の茶の湯の世界で頭角を現した。書画や、和歌、俳句、作陶に熱心であった。また、茶道具の収集家でもあり、特に本阿弥光悦作の黒楽茶碗「時雨」(重要文化財)の所蔵者としても知られた。
 如春庵は昭和初期に一宮の本宅ではなく、覚王山の別邸で家族と暮らしており、3人の娘(故人)を椙山女学園に通わせていた(同窓会名簿で確認済)。この別邸から眺めた風景を山田秋衛(森川家と親交のあった名古屋の画家)が描いた「覚王山十景図」が知られているが、松林の間に椙山女学園の校舎が描かれている。
さて、この掛け軸自体は、別邸で暮らしていた時期に如春庵と親交の深かった鈍翁益田孝によって書かれ、如春庵が表装・箱書を行ったことから大変貴重な掛け軸である。
 掛け軸中、「孝」は鈍翁益田孝(三井財閥の初総帥でもある)であり、「三輪」は朝野三輪(1722~1806)で、60年間も病床にあった夫に仕え、貞婦として知られた一宮出身の俳人である。この貞婦を讃えるという内容から当時の椙山女学園に贈られたと考えられる。
 今回の調査によりこの掛け軸は薄い桃色の紙面に書かれ、一方で森川家には白色の紙面に書かれた同様の掛け軸が存在しており、紅白で対をなすことが判明した。
 また、現在の森川家(一宮市)には、如春庵が編集した「夏蔭帖」という書物を椙山女学園に寄贈したことによる校長椙山正弌の礼状(大正15年当時)が残されている。これは如春庵との親交が窺えるものであり、如春庵と椙山女学園は大変縁が深いことを示している。
 (今回の調査は文化情報学部の飯塚恵理人教授に全面的な協力をいただいた)
 
 

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男爵益田翁孝貞三輪女頌徳之詠草

 

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