Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

2006年6月アーカイブ

歴史文化館開館記念企画展『椙山正弌・今子 趣味の世界』を開催しました

森川(じょしゅんあん)と椙山女学園
                          
 歴史文化館開館記念企画展「椙山正弌・今子 趣味の世界」において、「男爵益田翁孝貞三輪女頌徳之詠草」と題した掛け軸が展示されました。
 
 この掛け軸の箱書きには森川如春庵の名前が記されており、展示品として事前に調査を行ったところ、大変貴重な掛け軸であることが判明しました。
 
 森川勘一郎(1887~1980、以降「如春庵」)は、尾張一宮の大地主森川家の当主であり、近代を代表する茶人の鈍翁益田孝(どんのうますだたかし/1847~1938)や、山渓富太郎(1868~1938)など、時の日本を代表する財界人であり文化人でもあった人々と交流を結び、近代の茶の湯の世界で頭角を現した人物です。
 書画や、和歌、俳句、作陶に熱心で、また茶道具の収集家でもあり、特に本阿弥光悦作の黒楽茶碗「時雨」(重要文化財)の所蔵者としても、知られていました。
 
 如春庵は昭和初期に一宮の本宅ではなく、覚王山の別邸で家族と暮らしており、3人の娘(故人)を椙山女学園に通わせていました。この別邸から眺めた風景を、山田秋衛(森川家と親交のあった名古屋の画家)が描いた「覚王山十景図」が知られていますが、松林の間に椙山女学園の校舎が描かれています。
 
さて、この掛け軸自体は、別邸で暮らしていた時期に如春庵と親交の深かった鈍翁益田孝によって書かれ、如春庵が表装・箱書を行ったことから大変貴重な掛け軸です。
 掛け軸中の「孝」は、鈍翁益田孝(三井財閥の初総帥でもある)であり、「三輪」は朝野三輪(1722~1806)で、60年間も病床にあった夫に仕え、貞婦として知られた一宮出身の俳人を指します。この貞婦を讃えるという内容から、当時の椙山女学園に贈られたと考えられます。
 
 今回の調査によりこの掛け軸は、薄い桃色の紙面に書かれ、一方で森川家には白色の紙面に書かれた同様の掛け軸が存在しており、紅白で対をなすことが判明しました。
 また、現在の森川家(一宮市)には、如春庵が編集した「夏蔭帖」という書物を椙山女学園に寄贈したことによる、校長椙山正弌の礼状(大正15年当時)が残されています。これは如春庵との親交が窺えるものであり、如春庵と椙山女学園は大変縁が深いことを示しております。
 
(今回の調査には文化情報学部の飯塚恵理人教授に、全面的な協力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。)
 
 

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男爵益田翁孝貞三輪女頌徳之詠草

 

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